木曜日, 12月 27, 2007

今日も元気に出勤

今日も元気に出勤してます。

日本の我が大学での諸問題は収束する方向どころか、司法の場で不明な点を明らかにしようとすることになったようです。先日この問題について、学生代表が選考委員に質問状を出し、その回答が公表されましたが、一人、選考委員の方はある側面においてまったく整合的な思想をお持ちの方もおられました。語るに足る人もいるという印象です。その思想においては、意向投票の結果と一致しない選考結果もあり得ることは納得できなくもない。ま、もともと法人化というのはそういう一面があったわけで、ちゃんと理解しているなということです。僕はその思想には反対ですけども。そういう理解をちゃんと訴えてくる委員の方の人柄は、信頼するに足りますな。(あくまでも一部の委員について)
 ただ今問題なのは、不正に対して責任ある対応を取らないことが、なんか裏あるんじゃないの?という不信感を生んでいるということで、そこを明らかにしなければ構成員(学生を含む)の誇りを失わしめるということですな。

さて、今日は昨日ほどやる気なく、読書に耽っております。
今日読み終わった本は
「職業としての学問」マックス・ウェーバー
です。



なんとなく社会科学的なものに目覚めまして、マックス・ウェーバーなるものを2冊ほど買いました。そのうちの一つ。岩波文庫の白です。ずいぶん前に大学の後輩が読んでいたような気がします。
ま、いろいろとこの本にはいいことが書いてありますが、ちょっと難しいので、もう一度読み直してみようかと思ってます。

いろいろいいことというのもま、いろんな側面でいろいろなんで、ほんとまとめにくいんです。
 まず第一は、本当に題名の通り職業としての学問とはどうあるべきかというものですね。
原著は1919年で、その当時のドイツとアメリカと、今の業界とはなかなか似ていますね。
 次に社会科学と経済学の連関って意外に面白そうだなぁ、と思わされました。共産主義や資本主義っていわゆる経済思想ですね。岩波文庫の分類でもそうなってます。当たり前といえば当たり前なんですが。経済というと金融工学的なイメージが今は強いからか、やや驚きました。
 それから宗教的な側面も語られています。ま、西洋のお話ですからね。どうも彼の著書を見ると、東洋宗教についての考察もしているようで、なにやら遠藤周作的な匂いを感じます。祈りの一般性を求めようとしているかのような。

マックス・ウェーバーはかなり現在的な思想の持ち主です。学問の客観性と思想的な限界について語られています。現実的です。亡くなる一年前、55歳の時の講演です。

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