またしてもコメント見忘れ。
前々回のアメリカの学会についてのポストで、がっかりしたこととかうらみつらみとか書いておりましたことについて、やや補足。
確かに、がっかりしたことはそのご指摘通りですが、これも運命のなせる業と思いなおしました。すぐに。
逆に前向きに捉えております。すぐに。あのアイリッシュバーの帰りに、先輩U氏に励ましてもらいました。
その後もいろいろな人と話して、とにかく乗らねば始まらないという結論に至ります。
いろいろありますね。この身近な関係というのはよい面もあれば悪い面もあります。
で、
年とともに自動的に組織化される恨みつらみの構造というのは、上記のこととは別であります。
僕に取っては人ごとです。あれです。あれ。さすがにここでは言い難し!
僕にはそういうことがなるべく降り掛からないように、他の圧力のせいで心が荒むことがないように祈るばかりです。
例えばこういうことです。
来年度の業績少ない順から二人だけ、技官に降格!
とか言われれば、
学生をどなりちらしかつ褒めすかしデータの量産のみに努め、ライバルを批判しできるだけ自分を大きく見せようとし、その結果家庭でも切り替えができず奥さんに当たり娘を疎んじかねない。
大げさですが、一部現実。自動的に周囲の構造が人の心をそういう方向に向かわすこともある、それは、年齢を重ねることによる責任の増大とも捉えられるかもしれない、今後もっと大人になるということはそういうことかもしれないなぁ、と、思ったのでした。もし仮に、自分が近い将来、責任の増大とともにそういう荒んだ方行に向かうようなときには、自覚してなるべくできる範囲で抵抗しようと身構えた、っていうことでした。
相変わらずアマアマです。
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