今、夜1時半。
一人でウィスキーを飲んでネットジャンキー状態です。
最近ははてなブックマークの人気記事にはまってます。
娘の寝かし付けでだいたい8時ごろに親子3人川の字になって横になるのですが、どうも自分も寝てしまいます。今日に至っては一旦9時半に起きるも夜寝の二度寝をしてしまい、すっきりした気持ちで夜11時に起きてしまいました。別に悩みがあるわけではありません。
毎年娘の1年を年度末にDVDにまとめている親ばかですが、そろそろ今年のを始めようかと思っていた矢先、昨年の動画を見直してみました。なんかはたから見るとすごい米国生活をエンジョイしているように見えます。おかしいなぁー、あのころはいろいろ文化の違いや仕事の転換期のあせりで精神的ダメージが大きかったはずだったのですが、動画ではえらく元気そうに見えます。
よくよく考えてみると、歳を取っても悩みはなくならないけど、悩みへの対処法が結構うまくなるということだろうなと思われます。ま、昔からはっしーはえらく前向きで悩みなどないのではないかと思われがちなキャラクターですので、不感症なところはあったと思われますがそれでも悩むときは悩みますね。しかし、そういう時、別になんというか、前向きに悩んでました。
若いころ:遠藤周作の引用で、暗闇の黒い深い淵を見つめるのだ、みたいな、そういう自分の不気味な無意識をとことん見つめる行為のように感じて、ある意味悩むことはかっこいいとすら思っていたときがありました。
もう少し歳を取る:悩むのは当たり前だー!酒飲んで人と話してればなんとかなるべ。
最近:悩むのは堕落を止めるいい薬だ。むしろ正常。坂口安吾の堕落論。落ちれるもんならとことんまで落ちてみろ!自虐にさいなまされて落ち切れないから、安心しろ。これは怠け心を正当化する論理でもあります。
もともと坂口安吾のいうこの「堕落」とは戦中の日本人然とした精神からの堕落と言われていて、戦後の生き残りが幸せを謳歌することを嘆いたものだという解釈があります。いわゆる戦後の逆言論統制社会では危険思想になりかねないためぼやかしてそうとわからないようにしているのではないかといううがった見方。そうだとして、そんな崇高な思想を怠け心に焦るおじさんの言い訳に使っていいものか、とも思います。
えーっとあれ、結局昔からあんまり気にしてないってことかな。というか歳をとればとるほど、悩みって大事じゃないかと、悩まなければならないとすら思うな。それは悩みというのか?酔っ払ってますので!でわでわ。
月曜日, 1月 26, 2009
水曜日, 1月 21, 2009
大統領就任式
昨日はワシントンはすごい人でしたね。国旗がぱたぱたぱた、すごい数でした。自然と国を愛し誇りに思い、迷いなく国旗を振るのはすばらしいですね。
我がデパートメントでは映画観のようなスクリーンのあるVisual labというのがありまして、そこでオバマの就任演説を上映するというメールが来ました。セントラル時間で11AM。僕もみんなとまざって演説を聞きました。
科学政策を再編するというところで拍手がわき起こりました。いわゆるグリーン・ニューディール的なエネルギー技術への未来投資という意味だと思われますので、レガシーエネルギーに関わりの強い地球科学系ではむしろマイナス要素かもしれません。もっと広く教育政策という意味では、大学の存在価値が高められる方向にあり、プラス要素と言えるでしょう。
本当にアメリカ政府もアメリカ国民の実体経済も危機的な状況にあり、ここ数年はかなりの苦痛を強いられることを覚悟せよ、と言っています。しかし、私たちはこれに立ち向かえるんだ!アメリカ再生のチャンスだ。未来の子供たちに、我々は耐え抜いた、そして君たちにバトンを渡すと、誇りを持って言えるようにしよう、と。モノは言いようだとはこのことですね。悲観することに意味などないか。日本もアメリカも実際には同じように成功して同じようにいっぱい失敗もするんでしょうが、基本スタンスが違うとこうも印象が違うものなのかと思います。とはいえ、日本もアメリカも結果的にどっちもすごい国であることは忘れてはなりません。
もうひとつ大きなことは、やはり黒人大統領であるということですね。夕べのテレビは黒人奴隷の歴史が多く取り扱われていました。黒人たちにとっては、ものすごい大きな変化であると思います。なんとなくですが、テレビのレポーターの黒人が、まだ身に慣れていない誇りを手にした高揚感のような、なにか自信を身につけたように、ちょっとぎこちなくしかし喜びに溢れて、堂々と白人にインタビューをしているような雰囲気を感じました。白人の方も、これまでは別に気にしないよという一歩離れたウワベ非差別主義者ようなスタンスから、本当に黒人をちゃんと見直そうという積極的な平等主義者に変わるようなムーブメントが自然とできつつあるように思われました。本当に黒人の地位は向上するのではないかと感じました。まさに黒人大統領はこういう側面で象徴的といえるでしょう。
夜のレセプションでオバマ夫妻のダンスに合わせて歌を歌ったビヨンセはインタビューでコメントしながら泣きそうになり、
「あーごめんなさい、あーごめんなさい、恥ずかしいわ、でも本当に私はただラッキーで、こんな風に歴史の一ページに参加できて誇らしいです。」と言う頃にはもっと泣いてました。
一方日本では畏れ多い国会の場で石井議員が麻生首相に漢字のテストを行っていると、オバマ就任挨拶のすばらしさとのコントラストで紹介されたりしていますが、そういうことは米国でもあるので、そうやって自分を卑下する方向に比較するのじゃなくて、もっと日本のポジティブな面も見て、それで比較すればいいのではないかと思います。例えば米国政府に資金援助の陳情に行くのにビッグ3の社長どもは自家用ジェットで乗り付けて、議会からその飛行機を今すぐ売れと文句言われたとか。日本航空の社長の質素さに米国言論が賞賛しているとか。
追記:今後の困難に立ち向かうに際して、米国民の特性を表現するのに開拓時代の先祖になぞらえて、彼らの辛酸の上に今の私たちの反映があり、今後の困難に対して我々が努力して、同じように子供たちに分け与えようという論調だったようですけども、これは詭弁だよ。今の状況はあった物が失われた自業自得であって、もともと何もなかった西部時代とは違うよ。
我がデパートメントでは映画観のようなスクリーンのあるVisual labというのがありまして、そこでオバマの就任演説を上映するというメールが来ました。セントラル時間で11AM。僕もみんなとまざって演説を聞きました。
科学政策を再編するというところで拍手がわき起こりました。いわゆるグリーン・ニューディール的なエネルギー技術への未来投資という意味だと思われますので、レガシーエネルギーに関わりの強い地球科学系ではむしろマイナス要素かもしれません。もっと広く教育政策という意味では、大学の存在価値が高められる方向にあり、プラス要素と言えるでしょう。
本当にアメリカ政府もアメリカ国民の実体経済も危機的な状況にあり、ここ数年はかなりの苦痛を強いられることを覚悟せよ、と言っています。しかし、私たちはこれに立ち向かえるんだ!アメリカ再生のチャンスだ。未来の子供たちに、我々は耐え抜いた、そして君たちにバトンを渡すと、誇りを持って言えるようにしよう、と。モノは言いようだとはこのことですね。悲観することに意味などないか。日本もアメリカも実際には同じように成功して同じようにいっぱい失敗もするんでしょうが、基本スタンスが違うとこうも印象が違うものなのかと思います。とはいえ、日本もアメリカも結果的にどっちもすごい国であることは忘れてはなりません。
もうひとつ大きなことは、やはり黒人大統領であるということですね。夕べのテレビは黒人奴隷の歴史が多く取り扱われていました。黒人たちにとっては、ものすごい大きな変化であると思います。なんとなくですが、テレビのレポーターの黒人が、まだ身に慣れていない誇りを手にした高揚感のような、なにか自信を身につけたように、ちょっとぎこちなくしかし喜びに溢れて、堂々と白人にインタビューをしているような雰囲気を感じました。白人の方も、これまでは別に気にしないよという一歩離れたウワベ非差別主義者ようなスタンスから、本当に黒人をちゃんと見直そうという積極的な平等主義者に変わるようなムーブメントが自然とできつつあるように思われました。本当に黒人の地位は向上するのではないかと感じました。まさに黒人大統領はこういう側面で象徴的といえるでしょう。
夜のレセプションでオバマ夫妻のダンスに合わせて歌を歌ったビヨンセはインタビューでコメントしながら泣きそうになり、
「あーごめんなさい、あーごめんなさい、恥ずかしいわ、でも本当に私はただラッキーで、こんな風に歴史の一ページに参加できて誇らしいです。」と言う頃にはもっと泣いてました。
一方日本では畏れ多い国会の場で石井議員が麻生首相に漢字のテストを行っていると、オバマ就任挨拶のすばらしさとのコントラストで紹介されたりしていますが、そういうことは米国でもあるので、そうやって自分を卑下する方向に比較するのじゃなくて、もっと日本のポジティブな面も見て、それで比較すればいいのではないかと思います。例えば米国政府に資金援助の陳情に行くのにビッグ3の社長どもは自家用ジェットで乗り付けて、議会からその飛行機を今すぐ売れと文句言われたとか。日本航空の社長の質素さに米国言論が賞賛しているとか。
追記:今後の困難に立ち向かうに際して、米国民の特性を表現するのに開拓時代の先祖になぞらえて、彼らの辛酸の上に今の私たちの反映があり、今後の困難に対して我々が努力して、同じように子供たちに分け与えようという論調だったようですけども、これは詭弁だよ。今の状況はあった物が失われた自業自得であって、もともと何もなかった西部時代とは違うよ。
木曜日, 1月 15, 2009
かなり久々、読んだ本のネタ
ぼちぼち本を読んでいましたが、ひさびさ面白かったのでご紹介します。
星新一
小学校高学年から中学校1年生くらいのときまでめちゃくちゃ読みました、星新一。
確か中学1年の時の国語の教科書にさるの汽車と言った感じの話が載っていて、ショートショートだったため、星新一に似ていると言ったところ、国語の先生がいや星新一は実はSFに分類されるものでこれを同じと言ってはいけないみたいなことを言っていました。そのとき初めて、ははぁ星新一はSF作家だったのか、と思ったわけですが、それまでは全然SF作家だと思っていませんでした。
もちろんショートショートを読みまくったわけですが、それ以外にも父親のことを書いた長編「人民は弱し、官吏は強し」、「明治・父・アメリカ」も読みましたし、単語の組み合わせでアイデアを紡ぎだす方法みたいなエッセイも読みました。
そのころは赤川次郎とかもめちゃくちゃよんでいたわけですけども、なぜか急にぱったり読まなくなりましたね。なぜでしょうね。それからしばらく誰かに熱入れたという記憶はなく、高校に入ってから遠藤周作へ突っ走っていきました。
さて、で、この本は星新一の伝記です。戦後SFというものをアメリカから輸入して日本に根付かせようとする黎明期。国家的実業家の父をもち、自らは大学で農業化学を修めたおぼっちゃまである星新一は、そのシュールな印象が時代と合致して、一足飛びに飛び抜けたSF界の成功者になりました。
それからが長い。延々とショートショートを書き続ける日々。SFというものが文学足りうるかという、どこかSFを人間から切り離された低俗なものとする議論の中で、常に人間を書くと思って書き続ける。しかし、世間の理解は乏しく文学賞には縁がない。読者層がどんどん低年齢化して、背景にあるものが感づかれなくなっていく。しかし、本そのものはものすごく売れる。しばらくして、生きているうちに1000話に届きそうだということが分かり、ただ書くことを目標にしていく。
そうやっているうちに、長く売れ続けることに意味があることに気がつき、できるだけ時代性を排除しようとした。文庫化や現代文化の折りにはかならず修正を自ら入れていった。
そして今なお売れ続けているという。
すばらしいことだと思います。
江戸川乱歩、小松左京や筒井康隆との絡みあり、その他いろいろな作家との関係が出て来て、なんとなく文壇とよばれるものの時代背景をおっているようで、そういう点も面白かったです。対局の文学としての第三の新人系、安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作もちょろっと出て来ます。いわゆる日本の文壇の本流に彼らはあり、星新一はつねにそことは異質なものと見られていた。なんとなくわかるなぁ、分かるよ。その鬱屈した感情を押し殺しつつ、淡々とショートショートを積み上げていく職人的なライフワークの先に、誰にも真似できない時代を超えた一般性にたどり着いたといえまいか。すばらしいことだと思います。
追加:中学教科書に載っていたさるの汽車の話は「車掌の本分」(かんべむさし)であることが分かりました。グーグルってすごいですね。あらすじは、遊園地の汽車を運転するさると車掌のさるが大人気で客車を多くしたところ車掌の猿が元気なくなった。仕事増やしすぎたなぁ、と思っていたら実は違ったという話。オチは秘密です。
追加2:そういえばまた思い出しましたが似たような話?で、人間に目覚めた象が、どうやったら人間らしくなれるのかという話が星新一にありまして、中学のときそれで読書感想文を書いたら学内の最優秀賞だか取った記憶があります。数ページ読むだけで済んだので楽だったなぁと思っていました。で、朝礼で名前を呼ばれて段上に上がり、賞状を受け取りました・・・、ら、すごいちっちゃいカードみたいな賞状でした。日章旗翻る恐れ多い段上で校長先生から賞状を受け取るという厳かなときに、肩がすぼまっちゃって情けない気持ちになりました。友達も「あれっ、ちっちゃ!」と見てて思ったと言ってました。よみがえる昔の記憶。
星新一
小学校高学年から中学校1年生くらいのときまでめちゃくちゃ読みました、星新一。
確か中学1年の時の国語の教科書にさるの汽車と言った感じの話が載っていて、ショートショートだったため、星新一に似ていると言ったところ、国語の先生がいや星新一は実はSFに分類されるものでこれを同じと言ってはいけないみたいなことを言っていました。そのとき初めて、ははぁ星新一はSF作家だったのか、と思ったわけですが、それまでは全然SF作家だと思っていませんでした。
もちろんショートショートを読みまくったわけですが、それ以外にも父親のことを書いた長編「人民は弱し、官吏は強し」、「明治・父・アメリカ」も読みましたし、単語の組み合わせでアイデアを紡ぎだす方法みたいなエッセイも読みました。
そのころは赤川次郎とかもめちゃくちゃよんでいたわけですけども、なぜか急にぱったり読まなくなりましたね。なぜでしょうね。それからしばらく誰かに熱入れたという記憶はなく、高校に入ってから遠藤周作へ突っ走っていきました。
さて、で、この本は星新一の伝記です。戦後SFというものをアメリカから輸入して日本に根付かせようとする黎明期。国家的実業家の父をもち、自らは大学で農業化学を修めたおぼっちゃまである星新一は、そのシュールな印象が時代と合致して、一足飛びに飛び抜けたSF界の成功者になりました。
それからが長い。延々とショートショートを書き続ける日々。SFというものが文学足りうるかという、どこかSFを人間から切り離された低俗なものとする議論の中で、常に人間を書くと思って書き続ける。しかし、世間の理解は乏しく文学賞には縁がない。読者層がどんどん低年齢化して、背景にあるものが感づかれなくなっていく。しかし、本そのものはものすごく売れる。しばらくして、生きているうちに1000話に届きそうだということが分かり、ただ書くことを目標にしていく。
そうやっているうちに、長く売れ続けることに意味があることに気がつき、できるだけ時代性を排除しようとした。文庫化や現代文化の折りにはかならず修正を自ら入れていった。
そして今なお売れ続けているという。
すばらしいことだと思います。
江戸川乱歩、小松左京や筒井康隆との絡みあり、その他いろいろな作家との関係が出て来て、なんとなく文壇とよばれるものの時代背景をおっているようで、そういう点も面白かったです。対局の文学としての第三の新人系、安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作もちょろっと出て来ます。いわゆる日本の文壇の本流に彼らはあり、星新一はつねにそことは異質なものと見られていた。なんとなくわかるなぁ、分かるよ。その鬱屈した感情を押し殺しつつ、淡々とショートショートを積み上げていく職人的なライフワークの先に、誰にも真似できない時代を超えた一般性にたどり着いたといえまいか。すばらしいことだと思います。
追加:中学教科書に載っていたさるの汽車の話は「車掌の本分」(かんべむさし)であることが分かりました。グーグルってすごいですね。あらすじは、遊園地の汽車を運転するさると車掌のさるが大人気で客車を多くしたところ車掌の猿が元気なくなった。仕事増やしすぎたなぁ、と思っていたら実は違ったという話。オチは秘密です。
追加2:そういえばまた思い出しましたが似たような話?で、人間に目覚めた象が、どうやったら人間らしくなれるのかという話が星新一にありまして、中学のときそれで読書感想文を書いたら学内の最優秀賞だか取った記憶があります。数ページ読むだけで済んだので楽だったなぁと思っていました。で、朝礼で名前を呼ばれて段上に上がり、賞状を受け取りました・・・、ら、すごいちっちゃいカードみたいな賞状でした。日章旗翻る恐れ多い段上で校長先生から賞状を受け取るという厳かなときに、肩がすぼまっちゃって情けない気持ちになりました。友達も「あれっ、ちっちゃ!」と見てて思ったと言ってました。よみがえる昔の記憶。
火曜日, 1月 13, 2009
文化の違いその1:個人の責任
さて、先日言いましたが、帰国を前にしてこれまでに感じた文化の違いのまとめをちょろちょろと書いていこうと思います。今回はその第一回目です。題しまして「個人の責任」です。
あらかじめ断っておきますが、世の中は時と場合によって相対的で、同じことをやってもいいときと悪いときがあります。こっちも人間だからムカッと来るときもあるし、あぁなるほどなぁうまいなぁと思うこともあります。できるだけいいとかわるいとか言わないようにしようと思います。できるだけ、ですけど。
で、まず今回は個人と組織の関係について、です。
おおざっぱに言うと、客と会社、客と店、というより、僕とあなたという関係が強いということです。簡単な例ではレストランでウェイターが名前を言って自己紹介して来て、その店で何か頼むのはその人以外ほぼNG、最後にその人向けにチップを渡す、という関係ですね。ま、レストランだと分かりやすいですけど、逆にこれはレストランだけの習慣だと思っていました。
ところが、それがそうでもなくて結構いろいろなところでそういう関係性を気づかされることが多々ありまして、一般化するのに時間がかかりました。
たとえばイエローストーンの最初のホテルで、予約変更手続きのトラブルでこっちの予約がキャンセルされていたとき、カウンターで対応していたのは若いおネェちゃんでした。
「こっちは予約変更確認のメールをもらってるんだし、ちゃんとプリントアウトしてここにその確認内容があります。こっちのミスではないことは明らかです。」
というと、
「私のミスでもありません」
と抜かしおった。
「はぁ、でもあなたのホテルのミスでしょう。」
というのは、どうも日本人的な感覚なのではないかと。
車の事故処理で保険屋と対応するのも全部名指し。修理工場の対応も全部名指し。保険のトラブルを訴える組織にファックス送るのも名指し。なにもかも名指しです。ソニーお客様係御中ということがないですね。なかなか名前が覚えにくいので大変です。服屋とか電気屋とかで物を買うときも、これくださいというと、これまで誰かがあなたの対応してましたか?と聞かれます。うーん、対応してくれたんだけど名前忘れた、ということが何度かありました。
組織のために一歩引くということがないですね。自分はこんだけ貢献しているということをはっきりさせたいと思ってるんでしょう。当然と言えば当然ですね。ただこのことは日本に比較して組織を代表しているという意識を希薄にしていますね。合理的と言えば合理的ですけど、やっぱり組織として個人に不利益を与えた場合にいろいろ不都合が生じます。あんたの会社のやってることはおかしいだろうとクレームを言うにも誰か名指しで言わなきゃいけない。つまり個人が組織にクレーム付けにくいようになってるんですね。運が悪いといって泣き寝入りすることも多いでしょうね。
客が日本に比べて辛抱強いのも驚きです。レジの行列も家族でしゃべりながらゆっくり待ってます。当然待つのは嫌なのですが、それを紛らわす努力をしてます。レジも別に慌てるでもなく、他の店員とおしゃべりしたりします。日本人的にはおいこらしゃべってる暇あったらさっさとやれよ、ということなんですが、そうなりません。で、レジではかならず店員と挨拶。
「はろー、はわゆー。」
ですね。客の方から率先していったりすることもあります。
店員も
「欲しいものは全部見つかった?」
とか聞いて来ます。
最初よく聞き取れなかったときは、何か大事なことを言っているのではないかと真剣に聞き直しました。ほとんど決まり文句だと分かって驚きました。
で、別れ際は
「ハヴアナイスデー」
「ユートゥー」
ですからね。
日本のコンビニで挨拶とかありえないですよね。日本では客はレジうちを人とは見てないんじゃないか?と思わされます。と同様に店員の挨拶もなんか乾いた感じがするかもしれませんね。日本人はもうこういうのに慣れっこなので大丈夫ですが、外国の人はそういう機械的な人間関係に耐えられないんじゃないでしょうか?
ということで、なんとなくですが、こっちでは個人と個人の関係を重視する、と。組織と個人の関係はなかなかうまく機能しないというお話でした。
でわまた次回まで、さようならー。
あらかじめ断っておきますが、世の中は時と場合によって相対的で、同じことをやってもいいときと悪いときがあります。こっちも人間だからムカッと来るときもあるし、あぁなるほどなぁうまいなぁと思うこともあります。できるだけいいとかわるいとか言わないようにしようと思います。できるだけ、ですけど。
で、まず今回は個人と組織の関係について、です。
おおざっぱに言うと、客と会社、客と店、というより、僕とあなたという関係が強いということです。簡単な例ではレストランでウェイターが名前を言って自己紹介して来て、その店で何か頼むのはその人以外ほぼNG、最後にその人向けにチップを渡す、という関係ですね。ま、レストランだと分かりやすいですけど、逆にこれはレストランだけの習慣だと思っていました。
ところが、それがそうでもなくて結構いろいろなところでそういう関係性を気づかされることが多々ありまして、一般化するのに時間がかかりました。
たとえばイエローストーンの最初のホテルで、予約変更手続きのトラブルでこっちの予約がキャンセルされていたとき、カウンターで対応していたのは若いおネェちゃんでした。
「こっちは予約変更確認のメールをもらってるんだし、ちゃんとプリントアウトしてここにその確認内容があります。こっちのミスではないことは明らかです。」
というと、
「私のミスでもありません」
と抜かしおった。
「はぁ、でもあなたのホテルのミスでしょう。」
というのは、どうも日本人的な感覚なのではないかと。
車の事故処理で保険屋と対応するのも全部名指し。修理工場の対応も全部名指し。保険のトラブルを訴える組織にファックス送るのも名指し。なにもかも名指しです。ソニーお客様係御中ということがないですね。なかなか名前が覚えにくいので大変です。服屋とか電気屋とかで物を買うときも、これくださいというと、これまで誰かがあなたの対応してましたか?と聞かれます。うーん、対応してくれたんだけど名前忘れた、ということが何度かありました。
組織のために一歩引くということがないですね。自分はこんだけ貢献しているということをはっきりさせたいと思ってるんでしょう。当然と言えば当然ですね。ただこのことは日本に比較して組織を代表しているという意識を希薄にしていますね。合理的と言えば合理的ですけど、やっぱり組織として個人に不利益を与えた場合にいろいろ不都合が生じます。あんたの会社のやってることはおかしいだろうとクレームを言うにも誰か名指しで言わなきゃいけない。つまり個人が組織にクレーム付けにくいようになってるんですね。運が悪いといって泣き寝入りすることも多いでしょうね。
客が日本に比べて辛抱強いのも驚きです。レジの行列も家族でしゃべりながらゆっくり待ってます。当然待つのは嫌なのですが、それを紛らわす努力をしてます。レジも別に慌てるでもなく、他の店員とおしゃべりしたりします。日本人的にはおいこらしゃべってる暇あったらさっさとやれよ、ということなんですが、そうなりません。で、レジではかならず店員と挨拶。
「はろー、はわゆー。」
ですね。客の方から率先していったりすることもあります。
店員も
「欲しいものは全部見つかった?」
とか聞いて来ます。
最初よく聞き取れなかったときは、何か大事なことを言っているのではないかと真剣に聞き直しました。ほとんど決まり文句だと分かって驚きました。
で、別れ際は
「ハヴアナイスデー」
「ユートゥー」
ですからね。
日本のコンビニで挨拶とかありえないですよね。日本では客はレジうちを人とは見てないんじゃないか?と思わされます。と同様に店員の挨拶もなんか乾いた感じがするかもしれませんね。日本人はもうこういうのに慣れっこなので大丈夫ですが、外国の人はそういう機械的な人間関係に耐えられないんじゃないでしょうか?
ということで、なんとなくですが、こっちでは個人と個人の関係を重視する、と。組織と個人の関係はなかなかうまく機能しないというお話でした。
でわまた次回まで、さようならー。
火曜日, 1月 06, 2009
iPod touch
iPod touchをクリスマスの朝に娘と開きました。
サイズが娘に丁度よく、興味津々。しょっちゅう娘に取られて、今ではSafariを開いてbookmarkからyoutubeへとび、自分のアカウントのお気に入りからプリキュアの動画を見るまでを自分でこなします。娘にとってはサンタさんがパパにくれたやつという名前になっており、とりあえずパパのものだということはわきまえているようです。
嫁は買った本人がすぐ飽きると思っていたようで、今でも僕が頻繁に使っているところを見ては驚いています。
一番よく使うのは産経新聞アプリ。新聞紙面そのままが毎日ただで見れるのがもうなんというか懐かしいというか、あの新聞のレイアウトいいですねー。産経ってもっと偏ってると思っていましたがそうでもないですね。たまにツンとしたのがありますが。
あとは数独のゲームくらいかな?
基本WiFiなので、iPod touchを使う環境ではノートPCでも同じこと以上のことができるのでiPod touchである必要はほとんどありません。産経新聞の紙面はiPod touchオンリーですので、これはもう替えがききません。
音楽は手探りでの作業がしにくいので、むしろiPod shuffleのほうが便利。そっちを使ってます。
今日発表されたiWorkのKeynoteをリモートでコントロールする機能はかなり惹かれます。
多分やるな。アメリカ人はみんなやるな。
サイズが娘に丁度よく、興味津々。しょっちゅう娘に取られて、今ではSafariを開いてbookmarkからyoutubeへとび、自分のアカウントのお気に入りからプリキュアの動画を見るまでを自分でこなします。娘にとってはサンタさんがパパにくれたやつという名前になっており、とりあえずパパのものだということはわきまえているようです。
嫁は買った本人がすぐ飽きると思っていたようで、今でも僕が頻繁に使っているところを見ては驚いています。
一番よく使うのは産経新聞アプリ。新聞紙面そのままが毎日ただで見れるのがもうなんというか懐かしいというか、あの新聞のレイアウトいいですねー。産経ってもっと偏ってると思っていましたがそうでもないですね。たまにツンとしたのがありますが。
あとは数独のゲームくらいかな?
基本WiFiなので、iPod touchを使う環境ではノートPCでも同じこと以上のことができるのでiPod touchである必要はほとんどありません。産経新聞の紙面はiPod touchオンリーですので、これはもう替えがききません。
音楽は手探りでの作業がしにくいので、むしろiPod shuffleのほうが便利。そっちを使ってます。
今日発表されたiWorkのKeynoteをリモートでコントロールする機能はかなり惹かれます。
多分やるな。アメリカ人はみんなやるな。
金曜日, 1月 02, 2009
明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
こちらの年末年始は日本に比べると全然盛り上がらず、年の瀬の独特な雰囲気を全く感じません。年が明けてもいつもと変わらず、ですね。普通に1月2日から出勤です。今年はたまたま2日が金曜日なので、いきなり週末感がただよいます。やっぱりクリスマスが最大行事でそれが過ぎればもう終わったということでしょうか?年末年始の正式な休みは31日と元日だけ。クリスマスは24日と25日の二日間。この4日感が正式な休みだそうです。うーん、盛り上がらない。
年末は友達をよんでなんちゃって手巻き寿司を食べて、年始は友達の家で日本食のパーティーに参加しました。お雑煮も食べました。いやいや満足満足。
さて、1月に入ってしまいまして、米国生活も残りわずか3ヶ月となりました。仕事では一応なんとなく一段落の結果は得ましたが、さらに発展させるべく次の段階に入っていますけども、すくなくともこの次の段階のデータはすべて取り終えたいと思っています。結果の考察は日本に帰ってからになると思います。その一応何となく一段落の結果は、あまり大した内容ではないのですが、ちょっと味付けして意味をやや膨らまして形に残るものとしてどっかに論文投稿しようと思います。これも、ま帰国までにできればいいなぁ、というところ。
あと、今後少しづつ気がついた日本と米国の違いについてまとめて行こうと思っています。地域活動、組織と個人の関わり、大学の仕組み、などなど。
英語の上達についてはまったく満足しておらず、当然外国人であるということを自覚しながら生活しているわけですけども、知らず知らずのうちに少なからずこちらの生活に馴染んでしまっているはずであります。いい悪いに関わらず。多分帰国してからの逆カルチャーショックでどういう風に変わったのかが自覚できると思います。日本人に嫌われるような言動を自覚なくやってるかもしれませんね!(別に留学は関係ないという話もある。)
今年もよろしくお願いいたします。
こちらの年末年始は日本に比べると全然盛り上がらず、年の瀬の独特な雰囲気を全く感じません。年が明けてもいつもと変わらず、ですね。普通に1月2日から出勤です。今年はたまたま2日が金曜日なので、いきなり週末感がただよいます。やっぱりクリスマスが最大行事でそれが過ぎればもう終わったということでしょうか?年末年始の正式な休みは31日と元日だけ。クリスマスは24日と25日の二日間。この4日感が正式な休みだそうです。うーん、盛り上がらない。
年末は友達をよんでなんちゃって手巻き寿司を食べて、年始は友達の家で日本食のパーティーに参加しました。お雑煮も食べました。いやいや満足満足。
さて、1月に入ってしまいまして、米国生活も残りわずか3ヶ月となりました。仕事では一応なんとなく一段落の結果は得ましたが、さらに発展させるべく次の段階に入っていますけども、すくなくともこの次の段階のデータはすべて取り終えたいと思っています。結果の考察は日本に帰ってからになると思います。その一応何となく一段落の結果は、あまり大した内容ではないのですが、ちょっと味付けして意味をやや膨らまして形に残るものとしてどっかに論文投稿しようと思います。これも、ま帰国までにできればいいなぁ、というところ。
あと、今後少しづつ気がついた日本と米国の違いについてまとめて行こうと思っています。地域活動、組織と個人の関わり、大学の仕組み、などなど。
英語の上達についてはまったく満足しておらず、当然外国人であるということを自覚しながら生活しているわけですけども、知らず知らずのうちに少なからずこちらの生活に馴染んでしまっているはずであります。いい悪いに関わらず。多分帰国してからの逆カルチャーショックでどういう風に変わったのかが自覚できると思います。日本人に嫌われるような言動を自覚なくやってるかもしれませんね!(別に留学は関係ないという話もある。)
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