木曜日, 1月 15, 2009

かなり久々、読んだ本のネタ

ぼちぼち本を読んでいましたが、ひさびさ面白かったのでご紹介します。

星新一



 小学校高学年から中学校1年生くらいのときまでめちゃくちゃ読みました、星新一。
 確か中学1年の時の国語の教科書にさるの汽車と言った感じの話が載っていて、ショートショートだったため、星新一に似ていると言ったところ、国語の先生がいや星新一は実はSFに分類されるものでこれを同じと言ってはいけないみたいなことを言っていました。そのとき初めて、ははぁ星新一はSF作家だったのか、と思ったわけですが、それまでは全然SF作家だと思っていませんでした。
 もちろんショートショートを読みまくったわけですが、それ以外にも父親のことを書いた長編「人民は弱し、官吏は強し」、「明治・父・アメリカ」も読みましたし、単語の組み合わせでアイデアを紡ぎだす方法みたいなエッセイも読みました。
 そのころは赤川次郎とかもめちゃくちゃよんでいたわけですけども、なぜか急にぱったり読まなくなりましたね。なぜでしょうね。それからしばらく誰かに熱入れたという記憶はなく、高校に入ってから遠藤周作へ突っ走っていきました。

 さて、で、この本は星新一の伝記です。戦後SFというものをアメリカから輸入して日本に根付かせようとする黎明期。国家的実業家の父をもち、自らは大学で農業化学を修めたおぼっちゃまである星新一は、そのシュールな印象が時代と合致して、一足飛びに飛び抜けたSF界の成功者になりました。
 それからが長い。延々とショートショートを書き続ける日々。SFというものが文学足りうるかという、どこかSFを人間から切り離された低俗なものとする議論の中で、常に人間を書くと思って書き続ける。しかし、世間の理解は乏しく文学賞には縁がない。読者層がどんどん低年齢化して、背景にあるものが感づかれなくなっていく。しかし、本そのものはものすごく売れる。しばらくして、生きているうちに1000話に届きそうだということが分かり、ただ書くことを目標にしていく。
 そうやっているうちに、長く売れ続けることに意味があることに気がつき、できるだけ時代性を排除しようとした。文庫化や現代文化の折りにはかならず修正を自ら入れていった。
 そして今なお売れ続けているという。
 すばらしいことだと思います。

 江戸川乱歩、小松左京や筒井康隆との絡みあり、その他いろいろな作家との関係が出て来て、なんとなく文壇とよばれるものの時代背景をおっているようで、そういう点も面白かったです。対局の文学としての第三の新人系、安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作もちょろっと出て来ます。いわゆる日本の文壇の本流に彼らはあり、星新一はつねにそことは異質なものと見られていた。なんとなくわかるなぁ、分かるよ。その鬱屈した感情を押し殺しつつ、淡々とショートショートを積み上げていく職人的なライフワークの先に、誰にも真似できない時代を超えた一般性にたどり着いたといえまいか。すばらしいことだと思います。

追加:中学教科書に載っていたさるの汽車の話は「車掌の本分」(かんべむさし)であることが分かりました。グーグルってすごいですね。あらすじは、遊園地の汽車を運転するさると車掌のさるが大人気で客車を多くしたところ車掌の猿が元気なくなった。仕事増やしすぎたなぁ、と思っていたら実は違ったという話。オチは秘密です。
追加2:そういえばまた思い出しましたが似たような話?で、人間に目覚めた象が、どうやったら人間らしくなれるのかという話が星新一にありまして、中学のときそれで読書感想文を書いたら学内の最優秀賞だか取った記憶があります。数ページ読むだけで済んだので楽だったなぁと思っていました。で、朝礼で名前を呼ばれて段上に上がり、賞状を受け取りました・・・、ら、すごいちっちゃいカードみたいな賞状でした。日章旗翻る恐れ多い段上で校長先生から賞状を受け取るという厳かなときに、肩がすぼまっちゃって情けない気持ちになりました。友達も「あれっ、ちっちゃ!」と見てて思ったと言ってました。よみがえる昔の記憶。

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