月曜日, 1月 26, 2009

悩んだときはこう思う

今、夜1時半。
一人でウィスキーを飲んでネットジャンキー状態です。
最近ははてなブックマークの人気記事にはまってます。

 娘の寝かし付けでだいたい8時ごろに親子3人川の字になって横になるのですが、どうも自分も寝てしまいます。今日に至っては一旦9時半に起きるも夜寝の二度寝をしてしまい、すっきりした気持ちで夜11時に起きてしまいました。別に悩みがあるわけではありません。

 毎年娘の1年を年度末にDVDにまとめている親ばかですが、そろそろ今年のを始めようかと思っていた矢先、昨年の動画を見直してみました。なんかはたから見るとすごい米国生活をエンジョイしているように見えます。おかしいなぁー、あのころはいろいろ文化の違いや仕事の転換期のあせりで精神的ダメージが大きかったはずだったのですが、動画ではえらく元気そうに見えます。

 よくよく考えてみると、歳を取っても悩みはなくならないけど、悩みへの対処法が結構うまくなるということだろうなと思われます。ま、昔からはっしーはえらく前向きで悩みなどないのではないかと思われがちなキャラクターですので、不感症なところはあったと思われますがそれでも悩むときは悩みますね。しかし、そういう時、別になんというか、前向きに悩んでました。
 若いころ:遠藤周作の引用で、暗闇の黒い深い淵を見つめるのだ、みたいな、そういう自分の不気味な無意識をとことん見つめる行為のように感じて、ある意味悩むことはかっこいいとすら思っていたときがありました。
 もう少し歳を取る:悩むのは当たり前だー!酒飲んで人と話してればなんとかなるべ。
 最近:悩むのは堕落を止めるいい薬だ。むしろ正常。坂口安吾の堕落論。落ちれるもんならとことんまで落ちてみろ!自虐にさいなまされて落ち切れないから、安心しろ。これは怠け心を正当化する論理でもあります。
 もともと坂口安吾のいうこの「堕落」とは戦中の日本人然とした精神からの堕落と言われていて、戦後の生き残りが幸せを謳歌することを嘆いたものだという解釈があります。いわゆる戦後の逆言論統制社会では危険思想になりかねないためぼやかしてそうとわからないようにしているのではないかといううがった見方。そうだとして、そんな崇高な思想を怠け心に焦るおじさんの言い訳に使っていいものか、とも思います。
 えーっとあれ、結局昔からあんまり気にしてないってことかな。というか歳をとればとるほど、悩みって大事じゃないかと、悩まなければならないとすら思うな。それは悩みというのか?酔っ払ってますので!でわでわ。

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