月曜日, 3月 16, 2009

日本語の文章を修正する

 このブログを読んでいる人にこんなこというとバカにされるかもしれませんが、僕は日本語にちょいと自信があります(理系にしては)。

 これには多分に性格もあって自画自賛していて、そうすると嫁からかなりバカにされるのですが、少なくともそういう嫁よりは作文能力は高い!昔、嫁が高校教師をしていたときに、学生の作文を修正して賞を狙うみたいなことをやらされました。なんともひどい文章が僕のおかげでかなりよくなりました。その他にも他大学の大学院入試用の作文や就職活動用の作文を修正したりもしました。学生の書く文章はそりゃもうひどいもんでした。

 とはいえそれは決して学生の人格がひどいということではなく、伝えようとしてる感動や問題意識は純粋で傾聴に値します。普段から話をよくするような学生であったりすると、あぁここはこういうことが言いたいんだなぁということも分かります。しかし、よく表現されていない。それをひどいと言っている。よく表現されていないというのはボキャブラリの問題でもありますが、それだけではありません。

 文章の基本は起承転結であります。これはどんな文章でも間違いありません。これを踏まえて書くと文章が格段によくなる。起承転結を心がけると論調がクリアになります。ここが起で、このネタで承って、ところがどっこいしょ転で前段をちょっと否定する、あるいは強調して発展させる、結でまとめる、と。こういう風に文章を構造的に眺めてみるのです。この起承転結ほどシンプルで伝わりやすい構造はありません。

 これらをバランスよく同じような分量で配分します。この「同じような配分で」というのも大切です。若い子のありがちなミスは、転が非常に長いことです。そこに自分のいいたいことが集中しており、そればっかり言っていてその主張の一般性を担保する客観的な視点が欠けているのです。ここはぐっと我慢して承をちょっと膨らますのです。ここで一歩引いた視点が持てるかどうか、は転へのつながりのダイナミズムを決定づけます。そして勢い余った自己主張を端的にまとめて短くするのです。これだけで文章はだいぶよくなります。

 そうやって赤線でばーっと転の中の長い文章をカットすると、学生はあぁぁ言いたいところなのに消されちゃったよー、とがっかりするのです。そこでちゃんと上記のことを説明して納得させようとします。起承転結を段落で分けて、行数がほぼ同等になるようにしていると。

 我ながらいい文章ができた、といつも思います。しかし、後から読み返してみるともだえ苦しむような恥ずかしさを覚えることも多々あります。特に大学に赴任してすぐに書いた文章などを読み返してみると、なんか世界的な研究を追求するみたいなことを本気で書いちゃってるあたり、やはり青いな、と思います。世界的な研究を追求していないわけではないけども、それをそこまで声高に言う必要はないだろ、とかですね。そういう話。思想は歳とともに変わりますね。もっと若い頃の文章はもっと悶え苦しみます。俺も若いときはバカだった。でも楽しかったな。今は今でいいけど。

ちなみにこの文章の起承転結はどうなっているでしょうか。全然起承転結になってません!

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