水曜日, 9月 27, 2006

面接

昨日は一世一代の面接でした.
久しぶりにドキドキいたしました.
面接は東京で,旅費は自腹です.
高知からの便はあまり多くないので,相当早い時間に東京に着きました.

会場付近の喫茶店でぶつぶつプレゼンの練習.発表は4分で,質疑応答が6分の占めて10分です.
この10分のために飛行機代出していくんだからなー.
発表時間も4分プラスマイナス10秒でおさめるべしとの助言もあり,時間感覚を練習で十分養います.
喫茶店では,緊張のあまり家族の写真を見て心をおさめつつ,どきどきしながら練習です.

ふと見ると,さえない男がポスターの入っているだろう筒を持って,店内に入ってきました.
ライバルです.
あれー,なんてさえない男だろうと思って,やや心が落ち着きます.
外は雷雨になっていました.
そのさえない男を見て,心が落ち着いてきたばかりでなく,逆に闘争心がわき上がり,雷雨と相まって心中盛り上がってきました.

そして会場入り.
面接者控え室に入ると,大勢のライバルがそこにはいました.
さっきとは打って変わって,みな精悍なかしこそーな顔をしています.やっぱり,伊達ではないなー,手強いなーと,ちょっと萎えます.
しかし,ここで怯んではならないと,平静を装いつつ隣の人にちょっと話しかけます.
すると,どうも受かって当然のような受け答えです.おいおいちょっと緊張しろよ.

ついに面接会場の扉の前に移動です.
僕の前の人が面接会場に入ると,僕の後の人が僕の隣に座りました.
やはり平静を装いつつ話しかけてみると,なんとその人は今ドイツに留学中で,この10分のためにわざわざドイツからやってきたんだと!上には上がいるものです.

そして,僕の順番がやってきました!発表は4分直前に終了し,これまでの練習にもなかった最高のできです.質問は一人の人が集中的にしてきましたが,どうもよっぽど対策をしてきたらしく,なかなか的確な質問をしてきます.こっちはそれをばったばった切りまくり,この研究の達成に疑問の余地がない事を主張します.
個人的には十分満足な面接でした.これで落とされるなら仕方ありません.
外に出ると雨が上がっていました.

その後,所用で母校の大学にお邪魔し,かつての指導教官と近い将来の細かい状況について情報交換.
結構な時間を割いてもらった後,空港へ.

自分へのご褒美に高めのお寿司とビールを楽しみました.

アー疲れた.
これで,本当に9月の怒濤の日々は終了です.
今日からはゆったり仕事します.

月曜日, 9月 25, 2006

怒濤の日々も一段落?

どうも,お久しぶりです.ようやっと書き込みます.
うちの大学で自分の研究に関連した学会が主催され,その対応で始まった怒濤の日々.
学会が終わると翌日から,学会主催の野外巡検旅行で案内.
それが終わった翌日,地質学会に日程を絡めて行われていた国際シンポジウムの巡検に参加し,初日は案内,そのまま名古屋に飛んで,他の地域を案内してもらう.
名古屋一泊で高知に戻り,翌日から授業の巡検.
しめて10日でした.連続7日間巡検.そのうち案内してもらったのは1日だけでした.
でも,かなり多くの研究者と様々な話を沢山させてもらって,非常に楽しい日々でした.みなさんありがとう!

でもって,今日は狭間の一日.

明日は一世一代の大舞台が待っている.
ちょっと以前はこの件でないーぶになっていたけれども,ここまで来てしまうと,もう開き直るしかないな.
出来る範囲で頑張ります.
人事を尽くして天命を待つ.
心穏やかにおおらかに,臨みます.

水曜日, 9月 13, 2006

ちょっとがっかりしたこと

今日のお昼ご飯は,久しぶりにインスタント焼そばにしました.

はい,みなさんお分かりですねー.

お湯を捨てる時に,麺まで捨てたって失敗じゃないとすると!

そう,隠し味である重要なふりかけを入れたまま,お湯を入れて3分待ってしまいました.
しかも,ソースをかけて混ぜるまで気がつきませんでした.
混ぜたら下からふりかけが・・・.

ちょっとがっかりしたこと,でした.

いいぞー,このちょっとした不幸(というか不注意).

世の中バランス取れているとすると,今度は,ちょっとした幸運がマイコンでくるに違いないぞ.
んでもって,こないだのビックな不幸に応じたビッグな幸運も舞い込んでくるに違いないぞ!

って,どうも最近受け身です.
重要な面接が近づいてきてナーバスになってます.その前に忙しい日々がやってくるので,十分対応できそうにありません.
うーん,不安だ.
こんな人間ではないはずなのだが・・・.なぜだろう.

遠藤周作新刊読了

遠藤周作の新刊本を読了しました.
内容は手紙を書く時の一寸した気配りについての本ですが,背後には遠藤周作らしさが隠れています.
この本を肺の病気で入院した頃に書いたと,後書きにあります.ベットでこれを書いたと想像すると,いろいろなところでより感動できるでしょう.
まったくもって思いやりに満ちています.これをユーモアたっぷりに書いています.
くだらない愚痴などどうでも良くなります.

どこかで読んだ遠藤周作の文章を思い出します.
「人は生活のみでは生きていない.時に人生を感じる」
といった,内容です.
人生をふと感じた時に,病院の窓を眺めるといい.そうすれば,多くの人が人生を感じている事が想像できる.
自分だけ,人生に立ち向かっている訳ではない.みな同じ.共有しよう.

だったかな?そんな感じ.
ま,えいでしょう.人間は人生だけでは生きられません.

時々,「今日を精一杯生きる,それだけ」
という人がいますが,本当にそんなことできるんでしょうか.僕なんか,あー今日も無駄にした,ってことが多いですよ.

ま,えいでしょう.

十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。

さて,次の本は,佐藤優の「日米開戦の真実」です.
阿川弘之が誰かと対談している本が新刊で出ると新聞で見たような気がして,ツタヤに行ったのですが,見当たらず,やむなく手に取った本です.佐藤優って,ムネオ事件のときに国策捜査で一緒にブタ箱に入れられた人です.今は起訴休職中ですが,文筆業でどばどば稼いでるようです.多分官僚の時より儲かってるんじゃないでしょうか.先日なにかの文芸賞を取ったような気がします.しつこいほどの理屈が時にここちよいです.

日米開戦の真実

土曜日, 9月 09, 2006

幸不幸の波に一喜一憂

ここのところ,幸運と不運がひっきりなしに繰り返す.
うちの研究室の来年卒業予定の子が,ようやっと就職試験に合格し,内定ゲット!
しかも労働条件も結構いいところ.いやー,よかったよかった.
それも,一応今やっている事と関連しているので,研究室としてもうれしい.
内定通知は,当然幸福のコルクボードに貼りました.

それから,修士1年のうちの学生が,奨学金一種(利子なし)に昇格!
これから研究業績を上げると,免除の申請もできる.
これは,頑張らねば!という気になっている.いい制度だ,

あー,いい話が続くなーと思っていたら・・・.

人の機械を借りて分析していたら,ぶっ壊しちゃった!
ちょっと欲張って,雷雨の中測定しちゃってた.ほんとにアホです.
ちょっとこれやばいかなーと思った矢先に,やっぱり瞬電でストップ!
その後,動かなくなってしまった・・・.
全身から力が抜けて,顔面蒼白.
とにかく,アフターサービスに電話しまくったが,原因がいろいろ考えられるので,ちょっと待ってて欲しい,といわれて待っている時の何とも言えない居心地の悪さ!最悪の場合,基盤交換で200万円とか脅されるし・・・.そんなお金ありましぇーん!

悶々としながら,サービスの助言待ち.ところが,ヒューズの交換であっさり治りました.なんだよー,おどかすなよー.でもラッキー!

いやー,これは,ついてるぞー!この調子ならこないだ応募したNintendo DS liteの懸賞も当たってしまうかもしれないぞーと思っていた矢先,なんと今朝,通行禁止のところで,覆面パトカーに捕まった.
この通行禁止のところって朝の7時から9時だけタクシーとバスだけ通れるという変則的な100mがあって,通過したのは朝8時45分.目の前を通常の車がどんどん通っているので,あれ?土日は解除かなぁーと思って通過したら,目の前の白いクラウンがなぜか転回.なにやってんのかなーと思って走っていたら,バックミラーに赤いパトランプが映ってました・・・.いつもだったら,大人数で待ち構えてて,ばればれなくせにー!!今日に限って覆面かよ,っていうか,ほんとたまたま,通っただけやろあんた!

どうも学長裁量経費も落ちたみたい.

うーん,この調子だと,今月末の超重要な面接は受かるのだろうか・・・.

木曜日, 9月 07, 2006

「稲盛和夫の哲学」読了

「稲盛和夫の哲学」読了しました.
良い事をやり続ければ,自分の願いは実現する,とか,良い事とは何かと言えば,人のためになる事である,とか,なんだか道徳のようななことを,心から信じていることが分かります.
京セラが,膝関節セラミックを認可なく販売した事に対して世間のバッシングを受けていたとき,忸怩たる思いをしていたそうです.仏教のお坊さんにそのことを伝えると,「それはいいことなんですよ」と言われたらしい.
なんでも前世のカルマがこれで一つ減ることになるからということらしい.
それで,すっきり救われただと.

信じるものは救われるよ.
うん,じゃ,そうしよう,
昨日の,失敗がちょっとおおげさになっちゃった運のなさは前世のカルマを一つ減らすための試練なんだな.
あんまり楽にならない.信心が足りんな.

で,ま,そういうこともありましょうって感じでした.

稲盛和夫の哲学

予告通り,次は遠藤周作の発掘原稿,新刊本です.
「十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。」です.
十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。

タイトルがなかったため最初の2文をタイトルにしたようだ.
手紙の書き方指南書の形式を借りて,相手を思いやるとはどういう事か,こころの豊かさとはどういう事かを,おもしろおかしいジョークを交えて書いている.やっぱりやや古くさい感じはするが,やっぱり遠藤周作はいいな,と思わせられるいい本だ.

水曜日, 9月 06, 2006

大学教員の自由は基礎科学の自由

 以前,大学教員は社会一般通説からみて,非常に特殊な環境で仕事をしていると思うと述べました.これは,サラリーマン経験のない私から言うと想像の域を出ませんが,大きな違いは自分で仕事の内容を決めて,自分で時間配分する個人の裁量領域が広い点だと思います.確かに大学組織のために拘束される時間もあるにはあります.以前話題に上げた試験対応などですが,これはそんな言うほど時間を取られるわけではありません.授業も週に多い人で3コマくらいではないでしょうか?本当に大学運営に中心的に関わっている一部の教授は一日に会議が3つとかざらのようですが,多くの教員は自己裁量で時間を使う自由を持っています.
 これは,内容が非常に専門的であることに起因すると思われます.ルーチンワークとして,マニュアル化できないところがあります.
 また,いろんなところで問題視されているかもしれませんが,法人化後,大学職員は労働基準法で守られることになったわけですが,こんな勝手気ままな仕事をしている人に対して誰が残業命令を出すのか,勝手に多くの人が長時間残業します.こんなのちゃんと計算して残業代出すわけにも行きませんので,裁量制度がしかれています.これは,1分でも大学にいれば,出勤扱いというもので,教員はどこで仕事しようと自由になっています.一応大学にいた時間を毎月自己申告することになっています.
 さらに研究費は今となっては殆ど自分でプロポーザルを書いて獲得しなければならない状況になっております.つまり資金も自己調達になってきています.
 こうなると,あれれれ,なんだか一人ベンチャー企業の社長みたいな気分になってきます.この自由と競争は,もう一人孤独な時空間であります.
 そして,自分の研究が世の中にどんなインパクトがあるのかないのか,恐れおののきながら毎日を送っているわけです.というのは,半分嘘で,半分ホントなのです.全く誰も意味を見出さないような,いわば認識されない無から,意味のある何ものかを創造する作業をやらねばならぬ.一年のうちヒットが一つ出ればもう万々歳です.逆に,俺のアイデアってすげー!とナルシスト丸出しな勘違いな時間もしばしばあります.
 えーっと,本当は,こういう立場的な自由は,研究内容を無限に羽ばたかせるための自由な発想に繋がっていくんだよーと言う風につなげたかったのですが,なかなか話がまとまらなくてすいません.

月曜日, 9月 04, 2006

今日読んだ論文

さーてやって参りました,今日読んだ論文その2.
Kao, H and Chen W.P., 2000, The Chi-Chi Earthquake Sequence: Active, Out-of Sequence Thsrut Faulting in Taiwan, Science, V. 288, p. 2346-2349.

です.

これは,1999年の台湾集集地震の地震波データから,逆解法で応力分布を求めたという論文です.
応力場が南から北へ時計回りに回転している.
北部の横ずれ断層が断層を分断して止めている.
南部への余震分布の延長が見られ,今後注意する必要がある.
などが成果として挙げられます.

ま,なんというか,基礎的なデータを示しておりますので,我が研究室の結果と比較する上で有用そうです.どうも北部は横ずれ断層系らしく,メインの南北性の逆断層とはやや応力の分布が違って,特異な場所のような気もします.一昨年からのうちの研究室で使用しているデータは,北端あたりのデータなので,ちょっとこのような設定を考慮しなければならないかなぁと思い至ります.

日曜日, 9月 03, 2006

「キャラクター小説の作り方」読了

 話し方が冗長で,ちょっとうんざりするんですが,論点は明快でなかなかいい視点でした.物語には型があるので,初心者でもパクればいい話が書ける,ちょっとした変形でオリジナリティーを出す,ということでした.これで才能のない人も小説が書けるという.しかし,この本はこれだけにとどまらず,この物語の一般性が,社会をも動かしているとしています.物語が型どおりに進行すると,大衆は安心するという心理を逆手に取って,政治をコントロールしているという議論です.例えば,小泉劇場.内容を深く問う事なく,対抗勢力,なんとなくイメージとしての敵を作り上げ,物語化していると.例えば,9.11後のアメリカ.悪の枢軸を仕立て上げて,理由のない戦争に世論を向かわせたと.これは物語としてのカタチだけあって,中身の矛盾は問われない良い例だ,とのことでした.

 うーん,なーるほど.

 これをうまく使えば,会議をコントロールして状況を自分の都合の良い方に向かわせられるな.単純に敵役を作るんじゃなくて,ま,錦の美旗や,変化の動機となる事件など,必要な条件があるんですが,これらを構造的に思考して設定する.めんどくさいなー.こういうのを策士というのでしょうね.

 キャラクター小説の作り方

さて次の本は,「稲盛和夫の哲学」です.稲盛和夫という人は京セラを一代で巨大企業にした人らしいです.稲盛財団という財団を作った人でもあるようです.財団助成を常日頃狙っている私としては,ちょこっとキーワード的に引っかかります.稲盛財団は京都賞というノーベル賞を補完するような賞を運営しているところでもあります.自然科学分野にも貢献しています.

稲盛和夫の哲学

ちょっと読んだ感じでは,最新の自然科学の成果を引用しながら,しかし,思考は無根拠な哲学という,キメラのような内容です.宇宙の成り立ち,物質の成り立ちを語りながら,輪廻転生を信じるみたいな,これだけ書くといったいどういうつながりがあるのか分からないような内容ですが,どこか遠藤周作的であり,理解できます.

で,もう一冊,予約本を買いました.
なんと遠藤周作の新刊です!

十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。

つい最近,遠藤周作の未発表原稿が発見された模様です.知らなかった.
アサヒコムの記事
こいつは非常に楽しみです.

ところがどっこいしょ

 前回は延々愚痴を言ってましたが,悪いことばっかりじゃないんです.というかいいことのほうが多い.複線ってやつですか.

 大学教育と言えば,なんといっても卒論です.卒論.卒論なんて適当にちょろろっとやったら卒業させてもらっちゃったよー,という方も多々いらっしゃるかもしれませんが,僕に言わせればそれは不幸なことですよ!って余計なお世話です.

 ま,大学や学部によりますが,うちの大学のうちの学部では,意外にちゃんと卒論やります.意外にというと失礼かもしれないが,前にもちょろっと言ったように,まじめじゃなさそうな子でも,ちゃんとやります.田舎の大学で,自然を相手にしているからかもしれません.普段,遊んでいた川や海から,自然を理解しようとする情報を自ら引き出す.これがおもしろいと思ってくれる子がたくさんいます.いい大学です.

 これが,自分の研究心をくすぐるんですね.こういうことやったら面白いかもしれない,と常に考えています.ネタの豊富な博士課程の学生ってそれほど多くないと思いますが,僕も例に漏れず,初めて学生が着いたころは殆どノーアイデアでした.このまま毎年学生が何人も来て,ネタがもつだろうかといつも恐れおののいているわけです.しかし,せっかく卒論をやってもらうからには,面白かったと思って出て行ってもらいたい.なので,なるべく面白いネタを多く探さねばなりません.まぁ,面白いかどうかは学生の判断なので,必ずしも面白いと思ってもらえるわけではないですけどね.
 でも,自分としてはそういう姿勢ですので,勉強しますよ,それは.しかも,教えなければならないので,生半可な知識では馬脚が現れてしまいます.ですから,学生のときよりも一生懸命勉強します.
 研究するにもお金が必要です.大学で定常的に支給される研究費は法人化してから毎年すごい勢いで減らされており,学生指導もママならない状況になりつつあります.サンプル処理するのに,岩石精密カッターの歯とか10万円もしますし,こまごました消耗品も馬鹿になりません.学会やシンポジウム,調査旅費なども結構かかります.それで資金獲得のために研究プロポーザルを書かねばなりません.ここでいいプロポーザルを書く努力もしますね.いくつになっても審査される身分です.
 でもこれもま,ひとえに学生がいるからです.
 ま,恩着せがましく聞こえるかもしれませんが,そうではありません.実は逆にこっちの教員側が育てられていると言う状況だと言いたいのです.まったくありがたいことです.

 大学教員というと学生を馬鹿にして,中身もないくせに偉そうにしているというイメージの人もいらっしゃるかもしれませんが,そりゃー,毎日先生先生なんていわれちゃったら,実力のあるなしに関わらず,自分って偉いのかもしれないと,勘違いしてしまうのかもしれませんね.実はそうではありません.本当に偉い人なんて大学教員にはほとんどいません.偉いフリを組織上しなければならない立場というのはあるかもしれませんが.ちゃんと分かっている教員も多々います.

 こういう状況はなかなか,学生のいない研究所では得られません.教育というデューティーがないことがいいことばかりではない,と言いたい.

 で,次回は基礎科学の自由について,といいつつ,実は大学教員の社会的に異常な自由度について,お話ししようかな.わかりません.