日曜日, 9月 03, 2006

ところがどっこいしょ

 前回は延々愚痴を言ってましたが,悪いことばっかりじゃないんです.というかいいことのほうが多い.複線ってやつですか.

 大学教育と言えば,なんといっても卒論です.卒論.卒論なんて適当にちょろろっとやったら卒業させてもらっちゃったよー,という方も多々いらっしゃるかもしれませんが,僕に言わせればそれは不幸なことですよ!って余計なお世話です.

 ま,大学や学部によりますが,うちの大学のうちの学部では,意外にちゃんと卒論やります.意外にというと失礼かもしれないが,前にもちょろっと言ったように,まじめじゃなさそうな子でも,ちゃんとやります.田舎の大学で,自然を相手にしているからかもしれません.普段,遊んでいた川や海から,自然を理解しようとする情報を自ら引き出す.これがおもしろいと思ってくれる子がたくさんいます.いい大学です.

 これが,自分の研究心をくすぐるんですね.こういうことやったら面白いかもしれない,と常に考えています.ネタの豊富な博士課程の学生ってそれほど多くないと思いますが,僕も例に漏れず,初めて学生が着いたころは殆どノーアイデアでした.このまま毎年学生が何人も来て,ネタがもつだろうかといつも恐れおののいているわけです.しかし,せっかく卒論をやってもらうからには,面白かったと思って出て行ってもらいたい.なので,なるべく面白いネタを多く探さねばなりません.まぁ,面白いかどうかは学生の判断なので,必ずしも面白いと思ってもらえるわけではないですけどね.
 でも,自分としてはそういう姿勢ですので,勉強しますよ,それは.しかも,教えなければならないので,生半可な知識では馬脚が現れてしまいます.ですから,学生のときよりも一生懸命勉強します.
 研究するにもお金が必要です.大学で定常的に支給される研究費は法人化してから毎年すごい勢いで減らされており,学生指導もママならない状況になりつつあります.サンプル処理するのに,岩石精密カッターの歯とか10万円もしますし,こまごました消耗品も馬鹿になりません.学会やシンポジウム,調査旅費なども結構かかります.それで資金獲得のために研究プロポーザルを書かねばなりません.ここでいいプロポーザルを書く努力もしますね.いくつになっても審査される身分です.
 でもこれもま,ひとえに学生がいるからです.
 ま,恩着せがましく聞こえるかもしれませんが,そうではありません.実は逆にこっちの教員側が育てられていると言う状況だと言いたいのです.まったくありがたいことです.

 大学教員というと学生を馬鹿にして,中身もないくせに偉そうにしているというイメージの人もいらっしゃるかもしれませんが,そりゃー,毎日先生先生なんていわれちゃったら,実力のあるなしに関わらず,自分って偉いのかもしれないと,勘違いしてしまうのかもしれませんね.実はそうではありません.本当に偉い人なんて大学教員にはほとんどいません.偉いフリを組織上しなければならない立場というのはあるかもしれませんが.ちゃんと分かっている教員も多々います.

 こういう状況はなかなか,学生のいない研究所では得られません.教育というデューティーがないことがいいことばかりではない,と言いたい.

 で,次回は基礎科学の自由について,といいつつ,実は大学教員の社会的に異常な自由度について,お話ししようかな.わかりません.

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