水曜日, 9月 06, 2006

大学教員の自由は基礎科学の自由

 以前,大学教員は社会一般通説からみて,非常に特殊な環境で仕事をしていると思うと述べました.これは,サラリーマン経験のない私から言うと想像の域を出ませんが,大きな違いは自分で仕事の内容を決めて,自分で時間配分する個人の裁量領域が広い点だと思います.確かに大学組織のために拘束される時間もあるにはあります.以前話題に上げた試験対応などですが,これはそんな言うほど時間を取られるわけではありません.授業も週に多い人で3コマくらいではないでしょうか?本当に大学運営に中心的に関わっている一部の教授は一日に会議が3つとかざらのようですが,多くの教員は自己裁量で時間を使う自由を持っています.
 これは,内容が非常に専門的であることに起因すると思われます.ルーチンワークとして,マニュアル化できないところがあります.
 また,いろんなところで問題視されているかもしれませんが,法人化後,大学職員は労働基準法で守られることになったわけですが,こんな勝手気ままな仕事をしている人に対して誰が残業命令を出すのか,勝手に多くの人が長時間残業します.こんなのちゃんと計算して残業代出すわけにも行きませんので,裁量制度がしかれています.これは,1分でも大学にいれば,出勤扱いというもので,教員はどこで仕事しようと自由になっています.一応大学にいた時間を毎月自己申告することになっています.
 さらに研究費は今となっては殆ど自分でプロポーザルを書いて獲得しなければならない状況になっております.つまり資金も自己調達になってきています.
 こうなると,あれれれ,なんだか一人ベンチャー企業の社長みたいな気分になってきます.この自由と競争は,もう一人孤独な時空間であります.
 そして,自分の研究が世の中にどんなインパクトがあるのかないのか,恐れおののきながら毎日を送っているわけです.というのは,半分嘘で,半分ホントなのです.全く誰も意味を見出さないような,いわば認識されない無から,意味のある何ものかを創造する作業をやらねばならぬ.一年のうちヒットが一つ出ればもう万々歳です.逆に,俺のアイデアってすげー!とナルシスト丸出しな勘違いな時間もしばしばあります.
 えーっと,本当は,こういう立場的な自由は,研究内容を無限に羽ばたかせるための自由な発想に繋がっていくんだよーと言う風につなげたかったのですが,なかなか話がまとまらなくてすいません.

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