金曜日, 8月 31, 2007

米国の大学院

 元相部屋のニンファが部屋にしゃべりにきてくれました。彼女は先日マスターのディフェンスを終えたばかりで、次のセメスターから博士課程に移ります。博士課程の別のテーマを探さねばならないらしいです。これまでやって来たことと関連する必要はないそうです。そういうものでしょうか?(日本と違って積み重ねを重視しないっていうのは本当ですね。この辺はまたあとで話す機会もありましょう。)

 で彼女は来年の今頃リサーチプロポーザルという研究のテーマについての口頭テストがあります。これは、いわゆる研究の進行具合ではなく、私はこういう研究が価値があると思います!こういう研究がしたいです!という発表です。教員が学生に対し、ちゃんと自分で価値あるテーマを考えついたか判断します。これに通過してPhD候補生になれるそうです。このリサーチプロポーザルのために大量の論文を読み、研究背景と問題点を明確にし、解決法を提案します。緻密なレビューが必要です。それからさらに提案が必要となりますね。研究で最も重要で難しいところです。そういう訓練を自覚してやっているところが、なんか日本の学生と違います。
 日本でも最近はま、一応リサーチプロポーザルなるものが義務づけられてきているかもしれませんが、内実は中間発表的なものでしょう。近いのは東京の大学でやっていた演習報告というもので、これはリサーチブロポーザルの口頭試験のないものでしょう。中身についても特にいいとか悪いとか言われません。とにかく書いて出せと。それでもま、振り返ってみると、これは大変タメになりました。

 先日元相部屋のジェレミーがやって来て、今度リサーチプロポーザルの発表があるんで、ちょっとブルーだ、みたいなことを言ってきました。いやいや、なになに、どうせ中間発表みたいなもんでしょう?そんなに真剣に考える必要があるの?と聞いてみると、ま、多分大丈夫だと思うけどやっぱりな・・・、という感じの答えでした。ジェレミーはまじめなやつだなぁと思っただけでしたが、実はとんでもない重要なテストだということが後から分かりました。

 去年、うちの大学の別の研究室グループで、リサーチプロポーザルの内容が不十分でPhD候補生になれず、その学生は大学をやめさせられたと、同じデパートメントの日本人の方に聞きました。これがどこまで一般的なのかよくわからないのですが、先生に学生でいることをやめさせられるなんてことが実際あるということですね。日本では考えられません。日本の博士の学生は自分の心一つで学生で居続けられます。先生に研究者に向いてないからやめろと言われることはほぼ皆無でしょう。そういう判断がされる可能性のあるテストはありません。
一方で指導教員は学生を指導する義務もあるわけで、それは教員の力不足を示してしまうことにもなりかねません。しかし、すべての学生が指導すれば必ず研究者になれるとは、一般的にあり得ないとも言えるでしょう。どこで判断するのかが難しいですね。

 米国では10年博士課程の学生をやっても学位を取れるのは60%だそうです。出典忘れました。Googleで見つかるかも。米国内の反応は悪くない数値だそうです。へぇ。

それにしても、俺のPhD論文はひどかったなぁ・・・。

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