先日こっちの受け入れ教員と昼ご飯を食べに行くことになりました。
で、昼頃教員部屋で一緒になって、じゃ行こうというときに、ちょうど向かいの部屋に3人学生がいて、教員が
「ヘイユーガイズ!一緒にご飯行かないかい?」
と誘うと、ちょっと間があって、
「俺、いく!」
とついて来た学生が一人。
「オークイックディシジョン!いいねー!」
いろいろ話して、ご飯が終わり、帰り道、コーヒーショップでコーヒーでも買って帰ろうということになったのですが、その学生は
「俺コーヒーいらないから先帰るね」
といって道中で別れて僕と受け入れ教員でコーヒーショップへ。
そこからの帰り道。
「はっしー、やつはクレバーだと思うだろ。」
というのも彼は博士前期課程(修士課程相当)の1年目なのですが、指導教員を一本にしぼらず、最初の半年をうちの受け入れ教員の指導を仰ぎ、後半年をもう一人別の教員の指導を受けて、好きな方を選択するということにしていることを言っています。今、彼はもう一人の教員に与えられた課題をやっています。ははーん、そういう指導もあるものかと、興味深く思っていました。しかし、うちの受け入れ教員はつづけます。
「で、今はもう一人の教員の課題をやっているけど、こうやって昼飯誘ったらついてくるだろう。どっちにも保険をかけておくみたいなもんだ。」
僕はそう言うやり方があるんだと思い込んでいたので、無邪気に質問。
「へー、でもいつまでに決めなきゃいけないとかあるの?」
「いや、もう普通はもう決めてなきゃ行けないっていうか、でもまオフィシャルにはそんな決まり事は一つもないんだけどね。」
という話からまたまた話は続いて
「俺が与えた課題はなんかあんまり熱心にやってなかったしな。」
「ま、それなりに頑張ってたみたいだよ。」
「いや、あれ、一応ちょっとプロジェクトからお金だしてたんだよ。その割にはもうちょっとやってほしかったな。」
「あぁ、それはちょっと難しいね。」
でさらにさらに
「はっし−が一緒に実験機くみ上げたあいつ、あいつはすごくいい。実験もよくやってるし、解釈もよくやっている。でも・・・
「もう一人のあの学生、あいつはあんまりよくやってないな。それなりに作業はやってるんだけど自分から新しいアイデアを言うことがない。」
このもう一人のあの学生というのは修士2年だったかなの学生で、学年から言うとこないだ卒業年度だったはずだから博士課程に行くことにしたんだと思われます。
うーん、確かにな。あんまり切れ者という感じではない。
しかし、日本と違って結構研究費から学生の学費やら給料やらが出ていたりするので、その辺の心情おだやかならぬものがあるのも理解できます。ま、そういう社会的な責任から言うと、米国の学生はもらうものもらって大学院に行くのが前提なので、それなりの結果を出す必要があるんですね。でも、日本で見ていても、自分を振り返ってみても分かるように、研究者として独り立ちする道のりはなかなか険しいもので、学生時代はかなり未熟と言わざるを得ないですね。米国人だから学生が相当優秀かというと、実はそうではなくて、やはり日本と同用にどんなレベルの高い大学であってもピンからキリまでいるのだなぁということを実感する話、でした。
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