月曜日, 4月 06, 2009

ブログ引っ越します

いろいろな意味で春ですね。
ということで、ブログを引っ越すことにしました。
このポストのタイトルをクリックすると、移動します。

これからもどうぞよろしくお願いします。

土曜日, 4月 04, 2009

帰国しました

 いやー帰国して早くも一週間。

 帰国した日は我が実家へ、あずけてあった車を取りに行く。一泊して次は嫁の実家へ。そこで一泊して次の日にフェリーに乗る。フェリー泊で徳島着。高速で高知入り。高知に着いたのは4日目の午後3時くらいでした。

 とりあえず借りっ放しだった宿舎へ行ったところ、非常に状態がよくてびっくりしました。空気の入れ替えをお願いしていた斜め下の先生の奥さんが大変よくしてくださって、テーブルにはおかきとお茶が置いてありました。布団も使えそうでした。ガスが天然ガスに切り替わったのですぐには使えない等、置き手紙を置いてくださっていました。まったくありがたいです。
 すぐにガス会社に電話したところ、翌日扱いになりました。

 トイレの水を流してみると、隙間から水がぼとぼとこぼれて壊れていることが判明し、水回りのレスキューに電話。これまた翌日扱いになり、ひとまず予約してあったホテルに行きました。

 その日の晩ご飯はちょっと高めの鰹のタタキ定食を食べましたが、はずれの店に入ったみたいで、あまりおいしくありませんでした。米国上陸初日にシカゴでスパゲッティを頼んで失敗したのを思い出しました。

 翌日の1日から久々に大学へ登校し、コースの先生方に挨拶回り。ところがその日は改築した理学部1号館への大引っ越し日でみなさん忙しそうだったので、ちょっと挨拶しただけ。あと新卒論生とも顔合わせをしました。

 次の日は在来性オリ。
 次の日は何もない日だったので、卒論生を呼んで自分の荷物の整理を手伝ってもらいました。
 今日は新入生オリ。土曜日なのに拘束出勤です。一応充実しているけど、研究はぜんぜん進んでいない(当たり前)。

金曜日, 3月 27, 2009

いよいよ今日の朝、日本へ向け出発です

今、金曜日の夜12時半です。今日の8時半の飛行機で我が街を出ます。
またしても娘の寝かしつけで一緒に寝てしまったのでまだあまり眠くないです。

飛行機13時間+40分(地方空港から国際空港まで飛行機で移動)の長時間フライトです。

おとといと昨日の晩御飯は豪勢に家族で100ドル越え。ステーキを食べました。あとサーモンフィレ。なかなかおいしかったです。
日本に帰ったら何食べようかな。

火曜日, 3月 24, 2009

今日が最後の登校日

今日が登校最後の日です。

 明日は引っ越しというか、荷物の搬出。でっかいソファーとか、でっかいベッドふたつとか、ほぼすべての家具、すべての食器などなど、新しく来た日本人の方がそっくりもらってくれることになったので捨てずに済みました。
あさっては部屋の掃除して退去。しあさってに出国です。

 ま、特別することもないのですが、3/30締め切りの学長裁量経費の申請書がありまして、それを書いています。ほぼ完成してますけど、時間があるので最後の推敲などを。

 あと実験を直前までやっていて、そのサンプルがまだ実験機にくっついたままなのでそれを外します。あぶないあぶない忘れるところだった。

 論文は無事完成しましたが、共著者である受け入れ教員のチェック・ゴーサイン待ちです。ベラボーに忙しいらしく、なかなか時間がかかりそうです。理想としては帰国前に出すのが閉めた気分になっていいのですが、ま、慌てず待ちます。というのも待ちはそれだけでなくて、投稿先の問題でいろいろ動向があるのです。どうも本プロジェクトの物性関連の特集号が先日結構いい雑誌に採用が決定したらしく、そこに投稿するのも一考だということになっており、その動き待ちのところもあります。

 あとは、チョコレートもって挨拶回りして、一通り終わったらもう今日は帰ろうと思います。

金曜日, 3月 20, 2009

文化的衝撃その2

小さな文化的衝撃の気がついたことを忘れないように書いておきます。その2

・白人は寒さにめちゃくちゃ強い!
・寒くてもあっためてプールに入る。もちろん外。エネルギーの無駄。

・バイクに乗るときにヘルメットしない人が多い(ハイウェイでも)。転ぶと死ぬと思う。
・意外とスクーターもある。バイク自体少ないけど。

・段ボールは基本文具屋で購入。結構値段が高い(2-3ドル)。そのくせ薄くて弱い。日本の技術はすごい。
・ガムテームも弱め。糸入りガムテープみたいなのがあるけど、切手みたいな乾燥糊になっていて濡らして貼る。めんどくさい。

・大学では部屋の掃除を勝手にやってくれる。ホテルのような感じ。段ボールとかも廊下に出しておけばいい。

・ものを捨てるときは道路に歩道においておくと持って行ってくれるらしい。クリスマスツリーとか道ばたに投げらてる。ソファーとかもある。

木曜日, 3月 19, 2009

車を売る2

 まず最初にあった人は、欲しいと言っている人のパートナーで代理人でした。
10分ほどちょろちょろボディーやらエンジルームを見て試乗せず。
「で、いくらくらいになるの?」
「絶対に売らねばならないから安くすることになると思うけど、今日あと二人と会うつもりなので今のところは表示の金額で。」
「うん、彼女も気に入ると思うよ。今晩電話する。」
と言って別れました。車で1時間半くらいかけて来たみたいです。

 次にあったのはインド人らしき人。前の人よりきちっと見てます。試乗もしました。結構噴かしてエンジンパワーを見ているみたいでした。
「結構マイルいってるよねー。僕もスバル乗ってて好きなんだけど。」
と飴とムチ攻撃。
「で、いくらくらいになるの?」
同じ答えをすると、どうも不満な様子。
「いくらくらいだったらいいと考えてますか?」
で、来た答えが25%オフの値段。それはあり得ない。
「そいつは難しいです。」
「ま、考えてみてください。」
ということで、こいつはないな、と。

 最後の人は実はもっともメールで熱心だった人で、だからこの人を最後にしたのでした。現金も用意してあるから!みたいなメールでした。他の人は電話クレ、くらいのメールだったのでこの人の印象はメールの段階で一番よかったです。
 この人は一番よくチェックし試乗もしました。この人は温度計が気になってるみたいでした。いわくスバルはオーバーヒートしやすいということでした。今時そんな車ないと思うけど。
 この人もスバルが好きらしく、ちょうどいろいろ探していたところみたいでした。ほかにも交渉中の同型車があるらしく、いろいろ比較している点を言っていました。
 で、試乗が終わって家の前。
「これに決めた。これ買う。」
「え?最初の表示の値段でいいですか?」
「うん、それでいい。」
「あと、土曜日くらいまで使いたいので引き渡しは日曜日でいいですか?」
「うーん、日曜日は銀行開いてないから月曜がいいかな。」
「あとチェックはトラブルがあったときに対応する時間がないので、キャッシュでお願いします。」
「キャッシュ?マネーオーダーって知ってる?それでいいと思うよ。」
「よく知りませんが、そういうのあるんですか。あとですね、月曜までに心変わりされたら困るんですけど・・・。」
「うーん、そんなつもりはそうそうないけど、そういう心配はもっともだな。」
「はい」
「例えば、明日銀行行ってマネーオーダー出してもらってそれを銀行に預かってもらうとか。レンタカー代も払うから明日引き渡すとか、かなぁ。」
「デポジット置いて行ってもらうとかで来ませんか?」
「いやー、それより銀行に預かってもらう方が俺はいい。」
「じゃ、レンタカー代出してもらって明日引き渡しにしましょう」
「いくら欲しい?」
「一日60ドルで3日分で180ドル。」
「よしそれを折半して100ドルでどうだ?」
「それでいいです。」
 もし180ドルくれたらオイルチェンジしてあげようかと思っていましたが、ここで値切られたのでオイルチェンジはなしだな、と心の中で決めました。今回は本当に車を売るタイミングと引き渡したいタイミングが違っていたので試しに数日待ってもらうお願いしてみたのですが、ものすごい欲しい人に対してはいい作戦で結果的に値上げに成功したような格好になりました。

その夜、最初の人からは20%引きくらいの値段を提示されました。もう他の人に決めたと言いました。
二番目の人からも、他の人に決めたら連絡くれと言って来たので、もう他の人に決めたと言いました。

 翌日、車を掃除して洗車し、ガソリン満タンにして待ち合わせの銀行へ。
こっちの車の個人売買は非常に簡単で、所有者証(Title)の裏面が売買契約書類になっていて、そこにマイレージと値段とサインを書くだけ。銀行でマネーオーダーを受け取ります。このマネーオーダーというのは個人チェックとは違って銀行が直接出す小切手で、不渡りが起こりえないものだそうです。ですがそういう話だろうと理解しても聞き取りが100%ではないので、一緒に自分の銀行に行って、このマネーオーダーを自分口座に入るのを確認したい、ということで、次に僕の銀行に行きました。
 で、そこで無事自分の口座に入金し無事終了!めでたく最後の懸案であった車の売却が終わりました。やったー!!!
あ、そうそう引き渡しのときはナンバープレートを外すのを忘れずに!Titleの後ろの売買契約サインがしばらくの間プレートなし走行を許可するようです。ナンバープレート付けたまま売っちゃうとそのプレートでガスステーションでのガソリン泥棒をやられてこっちが犯罪者扱いされるようです。

 で、すべてが終わった後、二番目のインド人から10%引きの提示が来ました。

 個人売買おもしろいですね!

水曜日, 3月 18, 2009

車を売る

 いろいろ家具やら本やら引き取り先が順調に決まって行く中、最大の懸案は車でした。こちらでは個人売買が活発で、よく走っている車にFor saleの紙が貼ってあったりします。

 せっかく保険屋と戦って車を修理したのだから、ボディーのへこみとか許せない日本人に売ろうと思っていました。日本人ネットワークからこの3月に新たにやってくる人がいることを聞きつけ、その人にメールで聞いてみました。すると走行距離が多すぎるという理由で断りの返答が来ました。うちの車はなんとすでに138000マイルも走っていて、その理由は日本人的にはもっともです。日本なら絶対廃車だと思いますが、こっちだとまだ十分売りに出るマイル数だと思います。

 これは新たに来る日本人が他にいたとしてもそういう人には売りにくいなぁ、という話になりました。ということで、次は日本人ママさん会に情報を流しました。すると、奥さんが日本人で旦那さんが米国人という方から連絡がありました。このご家庭では車を徹底的に乗り潰す主義らしく、ちょうど一台もうぼろぼろの車があって、それを買い替えたいと思っていたところという話でした。これはかなり期待大です。こちらも日本語の通じる相手に売るのならばトラブルがあっても安心です。

 ということで、車を見てもらって気に入ってもらったのですが、なんせ将来完全に乗り潰す気満々なので、マシンショップに持って行って点検させてほしいという話になりました。こっちも気持ちよく買ってもらいたいと思い、了承しました。
 そしたら、エンジンにガスケットリーキングがあるということが判明してしまい、これが修理に3,000ドル近くかかるということが分かってしまいました。ガスケットリーキングには程度があって、すぐ修理しなければ行けない状態か、そうとうそのまま行ける場合とほんといろいろみたいなのですが、それをちゃんと調べるのはまた別の精密検査が必要みたいです。でもとにかく乗り潰す気なので、そういう不具合があると分かったからには買うことはできないという話になりこれまた、ご破算になってしまいました。

 いやいや、そんな大きなトラブルがある車と分かったからには、もう知り合いには売りにくい状態になってしまいました。ということで、もうこれはどんなに安くても確実に買い取ってもらおうということでディーラーに持って行くことにしました。まずは買ったディーラーへ行くと、担当者がいないので興味があったら電話させるようにする、ということでした。でもマイルがでかいので期待は薄いよ、という話でした。どうもマーケットが落ち込んでいて、古い車は買い取らない方向みたいです。スバルのディーラーにも行ってみなよというアドバイスをもらい、そっちに行ってみました。
「車売りたいです。」
「年式は?マイルは?」
「ワンハンドレッドフォーティーサウザ・・・」
「いらない。」
となんと、ディーラーすら引き取らない車であることが判明しました。これはやばい。

 最後の手段はネット個人売買です。こちらには定番のクレイグスリストという個人売買斡旋ページがあって、かなり活発なようです。もう知り合いには売れないし、ディーラーにも売れないならここしかない、ということで、そこにポストしてみました。どうしても売りたかったので、明らかに安い値段に設定し、さらに一言ディスカウントしますと書き加えました。
 米国の中古車相場はBluebookというホームページで調べられます。ディーラーに売る場合、個人売買の場合、ディーラーが客に最初に提示する場合の3つが調べられます。僕はディーラーに売る場合の金額のさらに500ドル引きに設定し、さらに安くすると言ったのでした。
 するとなんとポストした1時間後からすぐメールが来ました。朝には3人ほどになり、午前中のうちに翌日のアポイントメントを取り付けました。その日の夜は飲み会があったので翌日にしたのでした。そしたらその間にもどんどんメールが来て、酔っぱらって家に帰ったらさらに6人ほどになっていました。この6人には、今のアポイントメントで合意に達しなかったらすぐ連絡すると言っておいて、とにかくアポイントメントの人たちと会いました。

 長くなって来たので、また次回!

英語の話

 前回の調子こき日本語の話はこの英語の話のフリです。なんかめんどくさいことしてしまったな。ま、とりあえず以前予告していました通り、米国生活でどのように自分の中で英語と関わったのか?を書こうと思います。はっきりいってそんなに書きたいことではないのですが、そういう話はきっと多くの人の参考になると思います。ときどき破廉恥にもぶっちゃけちゃうのは性格です。

 さて、そんな日本語にすくなからず自負のあった大学教員が30代半ばにして初めて海外で生活することになりました。30代とはいえ精神的には20代のノリが落ちきれておらず、まったく責任感なんぞあったものではない。日本にいたときのイメージは、きっと海外生活すれば3ヶ月ぐらいで慣れて、2年後にはペラペラになっているに違いないという夢のような世界でした。あほでした。

 で、来た当初英語が当然さっぱり分からず。ごく初期はおーこれが本場の生活英語か!きついけど面白い!とノリノリでしたがだんだんとそうも思えなくなって来、どよーんとなって来ました。これは多分1ヶ月目かそれくらいからでしょうか。どよーんとするってのはもう自己嫌悪そのものであって、あー俺はなんてあほなんだと、あははーって言う感じです。

 言葉ができないというのは外から見ればアホだということであって、それは言葉の問題じゃなくて人格や思考や論理の問題になって来ます。おかしい!俺は日本語で言葉尻を大切にして来た男だ。このギャップは耐えられない。プライドが傷つきます。この日本語でしっかりできたのにという思いは非常に強いです。これがスポット旅行とかじゃなく生活というところもポイントです。

 しかし、ま、ちょっともがくかということで、6月からESL(English as a Second Language)のクラスに参加します。ここで同様の悲しみを共有する仲間にであいました。日本人だけじゃなく、世界各国のいい大人。ここで勇気百倍になりました。

 でエネルギーをもらって、もがくもがく。Youtubeで英会話チェック、DVD、テレビの字幕、新聞、本、雑誌とそこそこ頑張りました。ところがそれほど成果も上がらない。次第にあきらめの境地になってきます。この壁はとてつもなくでかい。数ヶ月そこそこでどうなるものではないなと。特にイデオム、感覚的なそれとかこれとか、getかhaveかとかniceかgoodとか、実際多分そんなに問題ないのですが、こっちの普通の感覚とは絶対にちょっと違う。そういうところまで追求しようとすると絶対無理だということが分かってきました。それが多分だいたい半年目くらいかな。

 このブログの記録を見てもらえば分かりますが、月の投稿数がいきなり9月くらいから減ります。初期のハイテンションと自己実現のためのもがきがブログに表れていました。その後は日本にいたときとほぼ同数のポスト数に(保険屋との戦いのとき以外)。

 そっからはもう淡々と、わからんなー、外人だからまいいだろ、しょうがないよ、という感じになりました。なんといっても雑談や笑い話が分からない。面白い話はやっぱり言い方もあって、本当に文脈や中身だけでNHKのような文章で笑わせるのはムツカしいですよね。日本語でも面白い話は中身だけじゃなくてノリじゃないですか?そういうのってかなり難しいです。その上ネイティブ複数人の会話に入ることはほぼ無理。会話は一対一が基本です。

 さらに電話はかなりムツカしい。表情や身振りという情報の重要性が分かります。歯医者や保険屋との戦いで鍛えられました。

 ということで、結論は英語の上達が問題なのではなく、できない自分に慣れることが重要だということですね。特に生活するような長期戦にはそういう諦観はある程度必要だと思います。

 また、明らかに年齢の問題があると思います。30半ばできたところで、やっぱりおじさんなので、若者のようにははしゃげないということが分かりました。とくに言葉のプライドを傷つけられ、自己嫌悪に陥ったりすればそんなノリになるわけはないでしょう。で、あきらめが入ったあとは、淡々と受け入れつつできる範囲でやる、ということで、ESLのクラスは機会があればほぼすべて出ました。ノンネイティブであれば、すべての話を理解できるし、こっちも安心してしゃべれる、ペースも遅いということでそのときだけ英語がうまくなった気がします。あといろんな国の人と話せるのもいいですね。教会の勉強会なども参加して、英語にふれるようにはしてました。
が、全然上達したきがせんな。歳だなぁと思います。

 受け入れ教員は日本人英語に慣れておりノンネイティブとの会話もずーっとこなして来ているので、もうほんとにわかりやすい英語で話してくれます。聞けると話せるというわけで、仕事上のことでは生活英語よりも全然スムーズ。マットやジョーといった学生に世話になるときも仕事上であれば問題なし。サンプルや電気系、電子顕微鏡などの技術者との会話もずいぶんましになりました。でも気持ちの問題だけで、英語が上達したとは思いません。

雑談がなぁ。いやー、英語でネイティブを抱腹絶倒させたいもんだなぁ。日本語だったらかなり自信あるんだけど。
こないだ受け入れ教員の家のお別れ会のときに、娘の日本での幼稚園の話になって
「あ、日本語が通じるってびっくりすると思うよ」
と言ったらちょっとウケました。こういうちょっとがかなり思い出に残ります。

 ということで、ま、もっと若いうちに留学すればまた話は違うでしょう。おじさんにはおじさんの留学がある。このおじさんの留学ってうちの大学であった留学生を見ると日本である程度のマスがあるのではないかと思います。PDがすごい多いです。あと会社からの派遣も結構います。

 ま、言葉の問題だけじゃないです。仕事では成果を出して、論文も書けましたのでいいでしょう。今後のテーマも一つできました。あと、旅行も多くして大陸の巨大さを実感しました。あと教会に行ったものま、文化を知るのによかったですよ。さらに外から日本を見ることで、またいろいろ感じるところもありました。ということで、はっきりって留学できてかなりよかったです。
出国は来週の金曜日なので、まだ時間があるのですが、いろいろ準備で忙しくなりそうなので、もうまとめちゃいました。

月曜日, 3月 16, 2009

日本語の文章を修正する

 このブログを読んでいる人にこんなこというとバカにされるかもしれませんが、僕は日本語にちょいと自信があります(理系にしては)。

 これには多分に性格もあって自画自賛していて、そうすると嫁からかなりバカにされるのですが、少なくともそういう嫁よりは作文能力は高い!昔、嫁が高校教師をしていたときに、学生の作文を修正して賞を狙うみたいなことをやらされました。なんともひどい文章が僕のおかげでかなりよくなりました。その他にも他大学の大学院入試用の作文や就職活動用の作文を修正したりもしました。学生の書く文章はそりゃもうひどいもんでした。

 とはいえそれは決して学生の人格がひどいということではなく、伝えようとしてる感動や問題意識は純粋で傾聴に値します。普段から話をよくするような学生であったりすると、あぁここはこういうことが言いたいんだなぁということも分かります。しかし、よく表現されていない。それをひどいと言っている。よく表現されていないというのはボキャブラリの問題でもありますが、それだけではありません。

 文章の基本は起承転結であります。これはどんな文章でも間違いありません。これを踏まえて書くと文章が格段によくなる。起承転結を心がけると論調がクリアになります。ここが起で、このネタで承って、ところがどっこいしょ転で前段をちょっと否定する、あるいは強調して発展させる、結でまとめる、と。こういう風に文章を構造的に眺めてみるのです。この起承転結ほどシンプルで伝わりやすい構造はありません。

 これらをバランスよく同じような分量で配分します。この「同じような配分で」というのも大切です。若い子のありがちなミスは、転が非常に長いことです。そこに自分のいいたいことが集中しており、そればっかり言っていてその主張の一般性を担保する客観的な視点が欠けているのです。ここはぐっと我慢して承をちょっと膨らますのです。ここで一歩引いた視点が持てるかどうか、は転へのつながりのダイナミズムを決定づけます。そして勢い余った自己主張を端的にまとめて短くするのです。これだけで文章はだいぶよくなります。

 そうやって赤線でばーっと転の中の長い文章をカットすると、学生はあぁぁ言いたいところなのに消されちゃったよー、とがっかりするのです。そこでちゃんと上記のことを説明して納得させようとします。起承転結を段落で分けて、行数がほぼ同等になるようにしていると。

 我ながらいい文章ができた、といつも思います。しかし、後から読み返してみるともだえ苦しむような恥ずかしさを覚えることも多々あります。特に大学に赴任してすぐに書いた文章などを読み返してみると、なんか世界的な研究を追求するみたいなことを本気で書いちゃってるあたり、やはり青いな、と思います。世界的な研究を追求していないわけではないけども、それをそこまで声高に言う必要はないだろ、とかですね。そういう話。思想は歳とともに変わりますね。もっと若い頃の文章はもっと悶え苦しみます。俺も若いときはバカだった。でも楽しかったな。今は今でいいけど。

ちなみにこの文章の起承転結はどうなっているでしょうか。全然起承転結になってません!

水曜日, 3月 11, 2009

おおっと!

あぶないあぶない、ちょっと忘れかけていましたが、昨日は娘の誕生日でした。4歳。すごい!(何が?)
だいぶしゃべりもスムーズになって来ました。親との会話は日本語です。

英会話はほとんどできません。ヘルプミー、アイトライディスワン、イッツマインとかいうことくらい言えるみたいです。
英単語はすごいいい発音でしゃべります。
目を指して、これ英語でなんて言うのというと、アイ!
口は?マウス!
鼻は?ノーズ!
顎は?チン!
耳は?イヤー!
首は?わからないっ!(日本語)

お腹は?タミー!え?タミーって何?って幼児語でお腹でした。すげー!

動物もある程度行けます。
猿は?マンキィー!
象は?エレファント!
熊は?ベァー!
キリンは?ジラフ!
らくだは?わからないっ!(日本語)

ライオンは?ライアン!ちゃんと英語になってます・・・。

それっ!受けてみよ!バカパパビームッ!

ムツカシイ話

 先週と今週とややエンジンがかかって、論文の本文は一通り書き終えました。あとは引用文献とかのめんどくさいのが残ってて、一通り推敲したあと、共著者の一人であるマットに英語を見てもらって、受け入れ教員に構成などでコメントもらって投稿!という運びになると思われます。話の流れはこれまでの節目でいろいろ打ち合わせし、最終的なアウトラインは図面ができた時点で結構突っ込みましたので、ま大丈夫でしょう。なんだかんだでエンジンがかかってくるとなんか意外といい論文になったなぁ、と自画自賛が入ってくるのは性格ですね。

 もう言うまでもなく帰国が近づいているわけですが、こちらの受け入れ教員やマットには4月の半ばに京都で行われる会議ですぐ再会する予定だし、9月のドイツである会議にも行こうかと思っているところで、ハロルドも行くと言ってました。

 ところで、そういう話をしていたときに、前回ハロルドが日本に行ったときの裏話がでてきました。
「お偉いさんがえらく怒ってたよ。なんでこんな成果しかでないんだよー!って」
もともといろいろ問題のあるプロジェクトですが、最大の目標は10年後くらいなのに急かし過ぎじゃないだろうか?
この春から?かな遅れて秋頃からかもしれないけど、このプロジェクトの二次計画が始まります。
お偉いさんは「次は大丈夫なんでしょうね!」
と言っていたらしいけども、こちらの受け入れ教員は
「次って言ったって次こそ技術的なプロジェクトだからなぁ。科学的成果は少ないかもしれないよ。」
という感想でした。

このプロジェクトは大きな枠組みとしての国際プロジェクトの一環で、その大きな枠組みの将来を議論決定する会議がドイツで行われる会議なのです。日本でもこのドイツの会議に向けて先日国内の意見集約のための会議が開かれたようです。米国ではネットで意見を募っているところみたいです。この米国の意見集約には今なら僕もなんか言えるみたいです。
「いやーこないだのオレゴンの会議もそうだったけど、米国のコミュニティーは大人数で民主的な儀式をおこないつつ、コラボレーティブで結果としてパワフルだよね。」(よくわからんな)というと、
「いや、わかるだろ、研究者ってのは基本的に非協力的なんだよ。それをまとめるのは結構大変だよ。」
と言っていました。
米国人でも非協力的な感じは理解できるといったところでしょうか。日本の非協力さと言ったら・・・。いずれにしてもまとめるのは大変というところでしょう。

「これまでのプロジェクトはまだ全然全力を出し切れてないからあと1期このまま続けようという意見と、この1期の成果は全然満足いかないからもうやめ!という意見があるよ。どっちに転ぶかは半々だな。」
とも言っていました。
うんうん、分かるよ分かる。米国の船は今年ようやく動き出すところだし、日本の船もまだ全部の力を出し切れてない、ヨーロッパもなんか作るとか言っているし、大きな枠組みではまだ延ばす価値はあるような気もする。じゃ、何するか?経費に見合うのか?というところがとても問題で、その上日本はその中でどこに位置するかというのもかなりムツカしい。

月曜日, 3月 02, 2009

今思い出す米国での小さな文化衝撃

ますます帰国が近づいて来ましたね。当たり前ですけど。

今日は口腔外科のほうに朝から行って、インプラントの最終チェックをして来ました。
「どうでしたか?なにか問題ありましたか?いたかったりしました?」
「いえ、ぜんぜん、何も、痛みも無しで、大丈夫です。」
「ちょっと見ますよー、うん、おっけーおっけー。なんかあったら連絡してくださいね。終わりです」
で数分で終了。
帰りにバスカードを忘れていたことが判明し、嫁に電話して迎えにきてもらう。

 さてさて、今日は、今冷静に振り返って、思い出せる範囲で米国に来たばかりの頃にびっくりしたりとまどったりした小さな文化衝撃をちまちま書いていこうと思います。

・道が広い
・芝生の管理がすごい(作り物のようにアオアオしている)
・平均的に車がでかい
・ショッピングモールがでかい
・駐車場がでかい(駐車スペースもでかい)
・とにかく土地が広い
・家が平屋で広い
・人間もでかい(サイズが。靴のサイズとかありえない)
・太っている人は漫画みたいに太っている
・やっぱ大陸は規模が違うなぁと感じる(今日の山火事とか、今日の竜巻とか、どこかで毎日なにかすごいことが起こっているような気がする)
・キャピタルがかっこいい(どうもキャピタルはどこも似たようなデザインみたい)

・レンストランで頼むと一人分が異様に多い(食べきれなかった。今はなぜか食べられる。やばいです。)
・レストランで残り物をちゃんとボックスに入れて持ち帰る(ちゃんと食べるみたい)
・食事の途中でウェイターが話しかけてくる「問題ないか?おいしいか?」「いえーす、ぐーっど!」
・外で食べるターキーはまずい
・スパゲッティは決してオーダーしてはいけない
・通常の食事はかなり栄養偏っている。チップスやポテトはおかずというか野菜扱い。
・スーパーのレジとかで、「今日はいいもの見つかった?」とか言われる
・店員はかなり積極的に声かけてくる(欲しいものをすぐ聞くようになった。最初の頃は、いやいいです、見てるだけです、と断っていた。)

・小切手を使う
・クレジット番号をデビットとして使えるチェックカードというものがある
・海外で床屋って意外にムツカしい(成功したときに写真を撮って、以後それを持ち込むとよいかも、すっかり忘れてた)
・床屋でもチップ(店長以外、判断ムツカしいかも)

・アパートにプールがある
・部屋の大きさはBedroomの数で表現する(基本リビング・キッチン・バストイレ、プラス2Bedroomみたいな感じ)
・部屋の電気はスタンドランプが基本
・夜、部屋は日本より暗い
・風呂が浅くてやっぱりさみしい

・おもちゃは安いし安っぽいものが大量(プレゼント交換で負担のないもの)
・子供の部屋は安っぽいおもちゃであふれかえる
・ケーキの色が青とか紫とかありえない色になっている

・・・。

うーん、ほとんどありきたりのネタですが、これを実感するのとテレビや本で知識を得るのとは全然違うというかですね、「あぁっ、ほんとにそうなんだ!!!」「うわぁっ、でかっ!」「すげー!でぶっ!」「げぇっ!まずっ!」「はっ、しょぼっ!」「エ?ごめん」。いや、おもしろかったですね。人間感動することは大切ですね。また気がついたら書いていこうと思います。

 あと最後にどうしても書かねばならないことは英語!についてですね。もともとそのために留学したんだけども、一体どうなったのか?どう変化したか?技術的にも心理的にもその変化と行き着いた結果は記録するに価値のあるものだと思います!このネタは最後のクライマックスに取っておきますよー。さーって、論文論文・・・。全然進んでない・・・。

金曜日, 2月 27, 2009

あと一ヶ月

 帰国まで残り一ヶ月となりました。
 今、慌てて論文書いてますが、終わるかなぁ。とかいっちゃって、まだ図面の整理と作文5ページ(ダブルスペース)。引っ越しとかあるしなぁ。ま、がんばろう。
 とかいいつつ、昨日まで4日間こっちのSEMで写真を撮りまくっていました。あんまりいい組織は見つかりませんでしたが、だんだんとSEMの設定が分かって来て、絵のシャープさがどんどん上がっていきました。結構高倍で奇麗な絵が撮れたのでそれは満足しています。いやー勉強になりました。

 人間慣れというものはすごいもので、英語ができず外人という不自由な環境でも長期安定してくると別に不満じゃなくなります。むしろ、ノーデューティーで研究に没頭でき、生活でも異文化体験できるすばらしい環境といえるかもしれません。日本に帰れば、当然の責務であるところの大学運営、学生指導といった大人な仕事が待っています。というか、ほんと今の状況が通常あり得ないわけで、常日頃から大変有り難く感じているところです。贅沢言うなということです。
 こちらの夏は涼しく奇麗な青空で北海道みたいにすばらしい!高知の蒸し暑い夏を思い出すだけでもうんざり。こっちの冬はかなり厳しいですが、ソリやスケートが簡単に楽しめます。寒いのは外だけなのであまり問題ではありません。
 食事もおいしいものをどんどん発見しました。特に肉!肉は牛もトンもトリも全部うまい。家庭料理以外のターキーはだめです。果物もうまい!ぶどうはすごいおいしい。あとだんだんと慣れて来て、サブにチップスとダイエットコークの組み合わせがうまいと思うようになってしまいました。結構太りました。これまじやばいです。
 それからこっちでできた日本人の友達は同年代が多く、考えてみると日本の大学に赴任してからの交流で同年代って少なかったなぁと思うのです。同年代ネタで盛り上がるのは精神衛生上大変よいということを再認識できました。彼らともお別れ。

 仕事や生活がまた一気に変わりますね。ま、日本だからもとに戻るだけですけど、社会復帰までどれくらいかかるでしょうか。どんな風に見方が変わっているのかも楽しみですね。カップヌードルとかコンビニおにぎりとか吉野家とかにいつまで感動できるかもチェックしておこうと思います。

 その前に論文と引っ越し準備!適度にがんばろ。

水曜日, 2月 18, 2009

教会の機能

 ここ一年ほど日曜日に教会の礼拝に行っています。といってもキリスト教徒ではありません。1ヶ月に1回くらいの時もあって全然熱心じゃないです、というか信者じゃないのに行っている。
 一番の目的は朝一番の勉強会に出ることです。次に娘を教会の保育所で遊ばせること。それから日本人の友達とその娘さんと一緒にお昼を食べること。礼拝は実はぜんぜん意味分かんなくて聞きたくもないのですが、ま、みんなで歌を歌うのはそんなに悪いことじゃないですね、というかちょっと楽しい。
 全然洗礼を受ける気にもなりませんし、むしろ絶対キリスト教徒にはならないと思っているほどです。遠藤周作を読みふけって来たのでキリスト教自体には興味はあり、多分抵抗感も少ない方だとは思いますけども。
 で、まぁ、教会というものが米国社会の中で日本人が考えるようななんとなく怪しげな宗教のための施設というよりも、より現実的な社会的機能を持っていると感じられました。こういう施設があったら、ほんと参加してもいいじゃないかと思うような側面が強いです。
 まずなんといっても、朝の勉強会。朝9時から1時間ほど、勉強会が開かれます。ま、普通教会でやる勉強会というのは聖書の輪読会みたいなもので、もちろんうちが行っている教会もそういう勉強会もやってます。が、僕はそれには出たことがありません。うちはそれとはべつにもう一つ、大人向けの勉強会で、キリスト教の見方についてとか、キリスト教信仰の変遷とか、アウシュビッツの手記とか、ユダヤの歴史とか、そういうより一般的な社会科学的だったり歴史的だったりする本を読むという勉強会もやってまして、それに出てます。これは面白いですね。聖書を読むとかの抵抗感はこの場合全くないです。
 参加者はほとんどが老人です。講師?というかレジュメを作って来て勉強会を仕切る人はどうもボランティアでやってるイチ信者のようで、別にプロの研究者ではありません。しかし、この勉強会のために日頃から熱心に勉強していることが分かります。参加している人たちも単に興味を共有しているイチ信者たちです。みんな活発に発言します。なんで米国人はこんなに議論がうまいのでしょうか?話の流れもスムーズで、中身も濃い。日本じゃなかなかこんなに建設的にならないんじゃないでしょうか?ときどき発言をするも、日本じゃこうだったとかすごい偏った話をどうしてもしてしまうのですが、みなさんちゃんと拾ってくれて助かります。
 参加者は老人で話は比較的ゆっくり。若者のような変な単語は出てこず、日本で習ったような英語をしゃべってくれるので、普段より英語がよくわかります。
 言いたいことは教会はまず第一に地域社会のコミュニケーションの場になっているということですね。老人、子供がメインですが、壮年の大人が安心して任せられる場ですね。そして、勉強会のしきり屋さんとか、聖歌隊とか、寄付を集める人とか、ハンドベル隊とか、子供のミュージックティーチャーとか、いろいろ役割が分担されて、社会参加している実感が得られます。僕はただのVisitingなので全部提供を受ける立場で、そういう役割とかは与えられませんが。ときどき小額の寄付をします。
 また、一家の大黒柱が亡くなると教会をあげてその家族をサポートする機能なんかもあったりします。これは信仰うんぬん以前に現実的な問題へのまったくもってセーフティーネットとして機能します。
 子供の保育所もボランティアで行われています。子供への説教もまキリスト教に則ってるんですが、キリストの教えを守りましょうなんてのも、みんなを許してあげようね!みんな仲良くね!という道徳的教育的な側面が強く出てまして、普通にいいです。別にキリスト教である必要はないんじゃないかと思います。
 んでもって、みんなで握手して挨拶するとか、みんなで歌うとか、みんなで朝の報告会とか、そういう時間を共有すると。みんな仲良くなんてそんなのうそくさいですが、それを努力することでコミュニティーの力が強くなることを知っているというか、みんな大人だなぁとつくづく思います。
 ほんとキリスト教というものは米国の教会においてはほんと方便に過ぎなくて社会的な機能として現実的によく作用している、それが国とか政治とかから与えられているのではなくて、地域の住民が主体的に行っている。
 日本だとどうでしょうか?例えばプロ市民みたいな人が行政に申請してNPOを立ち上げるとかですか?ほんとそういうのに全く興味なかったのですが、米国で教会の人々を見て、僕も日本でそういうのに参加して地域社会にちょっとでも役立ちたいかもなぁと思いました。寄付でもいいし。

金曜日, 2月 13, 2009

文化の違い?その2:大学院

 ずいぶん前から間があきましたが、文化の違いその2です。今回は大学院の話です。

 ま、よく知られていることだと思いますが、こちらの大学院は理系ですとほぼ9割以上の学生が授業料免除のようです。いろいろなチャンスがあると思いますが、僕の知っているところでは、指導教員が研究費から肩代わりで払ってくれる。あるいは企業や個人が大学に寄付する奨学制度とか、でしょうか?
 さらに給料をもらっている学生が大多数!これがすごい。一番大変なのがおそらくTAで授業を持つことだと思います。結構準備が大変だし、質問に来る学部学生の相手などで時間が取られます。あとはやっぱり指導教員の研究費から研究活動への給与として払われる。僕があった学生はほぼ全員が給料取りです。一旦社会に出て出戻ってくるなんて当たり前。嫁子供連れで学生をやっている人も多数。そのまんま、研究作業は仕事です。
 であるので、こちらの学生は日本の学生に比べるとかなり大人な感じがします。僕より大人な感じもします。しっかり生活基盤を自ら立てているという自信と自負があります。
 といってもやはり若者なので遊びもするし、怠けもする。ですが、あんまり怠けて成果が出ないと、さすがに指導教員も援助を継続する名目が立てられなくなります。で途中で切られたりすることもあります。そうすると、一旦社会に戻ってお金を貯めに数年出ていくとか、関連する他の先生の研究プロジェクトに混ぜてもらえないか就職活動したりします。一生ものでもないので日本のような悲壮感はなく、しかも意外と結構簡単に見つかるみたいです。この意外と食いつなげるところがポイント。見極めが難しいです。
 こういうのが博士を取った後もポスドクとして続いていきます。トレーニング段階から一人前になるまでのプロセスで、給料が出続ける、しかもある程度市場は安定している。国内だけでなく海外からも多数。すごいですね。アメリカはお金くれて学位を狙えるから日本を出て来ました、という人もちらほらいます。
 教員の方も優秀な学生、ポスドクを取るために研究費を取り続けなければならないです。優秀な学生やポスドクがくれば業績も上がって、また研究費が取りやすくなるという、ポジティブスパイラルに持っていくのが目標です。競争社会ですねー。ときどきそういうのに疲れるみたいです。競争ばっかりはやっぱりだれでも疲れますね。
 翻って我が日本を見返してみたときに、優秀だろうが無能だろうがお金を出して研究労働をさせてもらっているという形になります。特に博士課程後期に至っては指導された記憶もないという人、多数。学振の合格率はDCで2割くらいですか?それも大学に大きな偏りが・・・。残りの8割との差がでかすぎる!で学位を取っても研究職ポジションは非常に限られている。ほんと日本の場合博士になるメリットは非常に少ないと言わざるを得ませんね。リスクの方が高い。
 アカデミアの考え方が根本から違いますね。
 純粋に人はいくつになっても学びたいと思い続ける動物です。そういうことがより広く提供できる環境に持っていくべきだと思います。大学の社会人解放、博士価値の理解(による就職機会の増加)、学費負担の軽減、などなど教育とか学問のチャンスが広がると、最大公約数の幸せ度がより大きくなるのではないかなぁと思います。という方向では米国のほうがよく理解していてシステムもよくできていると思います。日本だってちゃんとそういう方向の活動をしていますが、米国と比べるとまだまだだなぁと思います。なんてたって教育関係経費がGDPの割合で日本はめちゃくちゃ少ない。よくやってるなぁと思います。

火曜日, 2月 10, 2009

アパートメントのネット環境修理

 土曜日、ずーっと気になっていた家のインターネット環境の不調が我慢できるレベルを超えたので、朝から試しにAT&Tに電話してみました。するとちゃんとやってましたが、なんかメキシカンかインド人かノンネイティブのオペレーターでした。もしかして今流行の海外オペレーターかもしれません。
 しかし話はスムーズで、1時間以内にテック(技術者)から電話させるといいます。
 うーん、ほんとは娘のサッカーがあるところだったんだけども、嫁が連れて行くことにして僕はひとり留守番、電話待ち。
 1時間半後に電話がなりました。また同じことを説明すると、明日の夜8時までに技術者がアパートメントに行ってラインをチェックするということになりました。別に部屋で待機する必要はない、周囲のラインをチェックするだけだからみたいな話でしたが、次の日の日曜日はオフィスもしまってるし、アパートの保守のおっちゃんたちもいないので多分ムリじゃないかと思ってました。日曜日はミルウォーキーに行く予定があったので、もうほぼ無視の感覚でした。
 で、嫁と娘がサッカーから帰ってきてすぐ買い物に出かけて、2時ごろ帰宅。すると電話がなりました。
 なんともう作業のおっちゃんが来ました。確かに日曜日の夜8時より早いけど早すぎる。アメリカらしくない。
 またそのおっちゃんが陽気な人で、延々喋りまくっているんだけどスラングのオンパレードでさっぱりわからない。スラングだってことはわかります。
 どうも問題は分かって、古いアパートメントのどっかで電話線の劣化が見られるっていうことみたい。ひとまずおっちゃん一人ですったもんだするもよく分からず、一旦外の車に戻っていきました。ここまで一時間くらい。
 で次戻ってきたときはもう一人助っ人と二人でやってきて、今度は二人で喋りまくり。ちょっと地下見てくる。地下はオッケーだった。中継ボックス見てくる。うーん、わるくないな。ということで、目の前の部屋のコネクターを交換したら直りました。問題はすぐそこにあったみたいでした。ここまでくるのにまた1時間、計2時間くらい作業してくれました。
 「これは経費の範囲内だから、タダだよ、じゃ。」
と言い残して去っていきまして、こっちも
「さんきゅーさんきゅー」
を連呼して見送りましたが、あとで考えたら、あ、チップとか渡すべきだったのではなかろうかと、嫁が指摘してきました。確かに・・・。すっかり忘れてた。

木曜日, 2月 05, 2009

ミズーリ訪問から帰ってきました

 昨晩ミズーリ大学訪問から無事我が家に帰り着きました。
 たまたま僕がミズーリにいたときだけすごい寒波がやってきて、お前が北から寒さを持って来たなー!と定番ネタを言われました。ほんと今日は向うはかなりあったかくなったみたいです。
 組織観察用のサンプルを使ってEnvironmental SEMというちょっと特殊な電子顕微鏡がどんなものかというのを見に行きました。サンプル処理することなくすぐ観察できるのがいいですね。
 3日作業予定で初日は様子見、二日目にちょっと進めようと思っていたところなんとワーキングディスタンスの表示がおかしくなっていてサンプルが検出器に激突。もう終わったと思っていたところ、なんと3日目の朝にちゃんと治っていて、最後の最後でちょろっと面白い観察ができました。
 他の大学をちょっと知ることができたのもなかなかよい経験でした。
 多くの方々にお世話になりました。いやー、よかったよかった。

 ミズーリ大学はコロンビアという大学街にあり、調べてみるとリージョナルエアポートがある。我が街と同じような感覚で、当然その空港を使うものだろうと、Orbitzで調べてみると、我が街からコロンビアまで行くにはメンフィス経由が安いことが分かりました。あまり深く考えず則購入。350ドルくらいだったかな?
 そしたらほとんどの人はそんな空港を使わないとあとから知りました。普通はセントルイスからバスだそうです。知らなかった・・・。地図で調べてみると我が街からコロンビアを飛び越えて同じくらいの距離飛んでメンフィスへ、メンフィスから飛び越えた分を戻る、というような無駄のある経路でした。帰りももちろんその逆ルート・・・。ま、メンフィスなんてほぼ人生で行くことはないでしょうから、話のネタにいいかなってポジティブに捉えようかと・・・、と思ったけど、セントルイスもまた二度と行かないような街だなぁ、とも思いますね・・・。

日曜日, 2月 01, 2009

明日ミズーリ大学にお邪魔

 明日ミズーリ大学にお邪魔します。前々からちょろちょろ言っていた話です。
明日は日曜日で単に前日入りするというだけなのですが、なんとアメリカンフットボールの最高峰スーパーボウルの日とかぶっており、家族のしがらみから離れてスポーツバーで観戦することができそうです。
 サンプル準備やマシンタイムの予約など、いろいろ細かい準備の手配をすっかりやってもらっており、ほんと忙しいところにお邪魔して申し訳ない気持ちです。
 しかも、どうも先方の研究室に日本人の方がいらっしゃったらしく(つい先日、先方の先生からメールをいただくまでまったく知りませんでした。)、これまた大変お世話になる予定です。
 12月の学会で先方の先生と話したときは、一緒にやろうといっていたことはじつはまだあんまり進んでなくて、ほかのことも忙しいんだよなぁみたいなことを言っていたのですが、とりあえず行って見るだけでもいい経験なので、何はともあれお邪魔したいです、みたいなことを言って、それで訪問にこぎつけたので、ほんと見学がてらちょろちょろっとというつもりでした。ところが、どうもこの一ヶ月でサンプル処理法の試行錯誤などもやってくれたみたいで、なんか僕の受け入れ態勢は万全みたいです。いやま、行ってみないとわかりませんけども。なんか思ったより成果が出そうです。
 自分の大学での成果もまま発展して、少しこの訪問先でのデータの重要度が上がってきたところです。思っていた以上に楽しみになってきました。
 とりあえず明日はスーパーボウルを見よう!

月曜日, 1月 26, 2009

悩んだときはこう思う

今、夜1時半。
一人でウィスキーを飲んでネットジャンキー状態です。
最近ははてなブックマークの人気記事にはまってます。

 娘の寝かし付けでだいたい8時ごろに親子3人川の字になって横になるのですが、どうも自分も寝てしまいます。今日に至っては一旦9時半に起きるも夜寝の二度寝をしてしまい、すっきりした気持ちで夜11時に起きてしまいました。別に悩みがあるわけではありません。

 毎年娘の1年を年度末にDVDにまとめている親ばかですが、そろそろ今年のを始めようかと思っていた矢先、昨年の動画を見直してみました。なんかはたから見るとすごい米国生活をエンジョイしているように見えます。おかしいなぁー、あのころはいろいろ文化の違いや仕事の転換期のあせりで精神的ダメージが大きかったはずだったのですが、動画ではえらく元気そうに見えます。

 よくよく考えてみると、歳を取っても悩みはなくならないけど、悩みへの対処法が結構うまくなるということだろうなと思われます。ま、昔からはっしーはえらく前向きで悩みなどないのではないかと思われがちなキャラクターですので、不感症なところはあったと思われますがそれでも悩むときは悩みますね。しかし、そういう時、別になんというか、前向きに悩んでました。
 若いころ:遠藤周作の引用で、暗闇の黒い深い淵を見つめるのだ、みたいな、そういう自分の不気味な無意識をとことん見つめる行為のように感じて、ある意味悩むことはかっこいいとすら思っていたときがありました。
 もう少し歳を取る:悩むのは当たり前だー!酒飲んで人と話してればなんとかなるべ。
 最近:悩むのは堕落を止めるいい薬だ。むしろ正常。坂口安吾の堕落論。落ちれるもんならとことんまで落ちてみろ!自虐にさいなまされて落ち切れないから、安心しろ。これは怠け心を正当化する論理でもあります。
 もともと坂口安吾のいうこの「堕落」とは戦中の日本人然とした精神からの堕落と言われていて、戦後の生き残りが幸せを謳歌することを嘆いたものだという解釈があります。いわゆる戦後の逆言論統制社会では危険思想になりかねないためぼやかしてそうとわからないようにしているのではないかといううがった見方。そうだとして、そんな崇高な思想を怠け心に焦るおじさんの言い訳に使っていいものか、とも思います。
 えーっとあれ、結局昔からあんまり気にしてないってことかな。というか歳をとればとるほど、悩みって大事じゃないかと、悩まなければならないとすら思うな。それは悩みというのか?酔っ払ってますので!でわでわ。

水曜日, 1月 21, 2009

大統領就任式

 昨日はワシントンはすごい人でしたね。国旗がぱたぱたぱた、すごい数でした。自然と国を愛し誇りに思い、迷いなく国旗を振るのはすばらしいですね。

 我がデパートメントでは映画観のようなスクリーンのあるVisual labというのがありまして、そこでオバマの就任演説を上映するというメールが来ました。セントラル時間で11AM。僕もみんなとまざって演説を聞きました。
 科学政策を再編するというところで拍手がわき起こりました。いわゆるグリーン・ニューディール的なエネルギー技術への未来投資という意味だと思われますので、レガシーエネルギーに関わりの強い地球科学系ではむしろマイナス要素かもしれません。もっと広く教育政策という意味では、大学の存在価値が高められる方向にあり、プラス要素と言えるでしょう。
 本当にアメリカ政府もアメリカ国民の実体経済も危機的な状況にあり、ここ数年はかなりの苦痛を強いられることを覚悟せよ、と言っています。しかし、私たちはこれに立ち向かえるんだ!アメリカ再生のチャンスだ。未来の子供たちに、我々は耐え抜いた、そして君たちにバトンを渡すと、誇りを持って言えるようにしよう、と。モノは言いようだとはこのことですね。悲観することに意味などないか。日本もアメリカも実際には同じように成功して同じようにいっぱい失敗もするんでしょうが、基本スタンスが違うとこうも印象が違うものなのかと思います。とはいえ、日本もアメリカも結果的にどっちもすごい国であることは忘れてはなりません。

 もうひとつ大きなことは、やはり黒人大統領であるということですね。夕べのテレビは黒人奴隷の歴史が多く取り扱われていました。黒人たちにとっては、ものすごい大きな変化であると思います。なんとなくですが、テレビのレポーターの黒人が、まだ身に慣れていない誇りを手にした高揚感のような、なにか自信を身につけたように、ちょっとぎこちなくしかし喜びに溢れて、堂々と白人にインタビューをしているような雰囲気を感じました。白人の方も、これまでは別に気にしないよという一歩離れたウワベ非差別主義者ようなスタンスから、本当に黒人をちゃんと見直そうという積極的な平等主義者に変わるようなムーブメントが自然とできつつあるように思われました。本当に黒人の地位は向上するのではないかと感じました。まさに黒人大統領はこういう側面で象徴的といえるでしょう。
 夜のレセプションでオバマ夫妻のダンスに合わせて歌を歌ったビヨンセはインタビューでコメントしながら泣きそうになり、
「あーごめんなさい、あーごめんなさい、恥ずかしいわ、でも本当に私はただラッキーで、こんな風に歴史の一ページに参加できて誇らしいです。」と言う頃にはもっと泣いてました。

 一方日本では畏れ多い国会の場で石井議員が麻生首相に漢字のテストを行っていると、オバマ就任挨拶のすばらしさとのコントラストで紹介されたりしていますが、そういうことは米国でもあるので、そうやって自分を卑下する方向に比較するのじゃなくて、もっと日本のポジティブな面も見て、それで比較すればいいのではないかと思います。例えば米国政府に資金援助の陳情に行くのにビッグ3の社長どもは自家用ジェットで乗り付けて、議会からその飛行機を今すぐ売れと文句言われたとか。日本航空の社長の質素さに米国言論が賞賛しているとか。

追記:今後の困難に立ち向かうに際して、米国民の特性を表現するのに開拓時代の先祖になぞらえて、彼らの辛酸の上に今の私たちの反映があり、今後の困難に対して我々が努力して、同じように子供たちに分け与えようという論調だったようですけども、これは詭弁だよ。今の状況はあった物が失われた自業自得であって、もともと何もなかった西部時代とは違うよ。

木曜日, 1月 15, 2009

かなり久々、読んだ本のネタ

ぼちぼち本を読んでいましたが、ひさびさ面白かったのでご紹介します。

星新一



 小学校高学年から中学校1年生くらいのときまでめちゃくちゃ読みました、星新一。
 確か中学1年の時の国語の教科書にさるの汽車と言った感じの話が載っていて、ショートショートだったため、星新一に似ていると言ったところ、国語の先生がいや星新一は実はSFに分類されるものでこれを同じと言ってはいけないみたいなことを言っていました。そのとき初めて、ははぁ星新一はSF作家だったのか、と思ったわけですが、それまでは全然SF作家だと思っていませんでした。
 もちろんショートショートを読みまくったわけですが、それ以外にも父親のことを書いた長編「人民は弱し、官吏は強し」、「明治・父・アメリカ」も読みましたし、単語の組み合わせでアイデアを紡ぎだす方法みたいなエッセイも読みました。
 そのころは赤川次郎とかもめちゃくちゃよんでいたわけですけども、なぜか急にぱったり読まなくなりましたね。なぜでしょうね。それからしばらく誰かに熱入れたという記憶はなく、高校に入ってから遠藤周作へ突っ走っていきました。

 さて、で、この本は星新一の伝記です。戦後SFというものをアメリカから輸入して日本に根付かせようとする黎明期。国家的実業家の父をもち、自らは大学で農業化学を修めたおぼっちゃまである星新一は、そのシュールな印象が時代と合致して、一足飛びに飛び抜けたSF界の成功者になりました。
 それからが長い。延々とショートショートを書き続ける日々。SFというものが文学足りうるかという、どこかSFを人間から切り離された低俗なものとする議論の中で、常に人間を書くと思って書き続ける。しかし、世間の理解は乏しく文学賞には縁がない。読者層がどんどん低年齢化して、背景にあるものが感づかれなくなっていく。しかし、本そのものはものすごく売れる。しばらくして、生きているうちに1000話に届きそうだということが分かり、ただ書くことを目標にしていく。
 そうやっているうちに、長く売れ続けることに意味があることに気がつき、できるだけ時代性を排除しようとした。文庫化や現代文化の折りにはかならず修正を自ら入れていった。
 そして今なお売れ続けているという。
 すばらしいことだと思います。

 江戸川乱歩、小松左京や筒井康隆との絡みあり、その他いろいろな作家との関係が出て来て、なんとなく文壇とよばれるものの時代背景をおっているようで、そういう点も面白かったです。対局の文学としての第三の新人系、安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作もちょろっと出て来ます。いわゆる日本の文壇の本流に彼らはあり、星新一はつねにそことは異質なものと見られていた。なんとなくわかるなぁ、分かるよ。その鬱屈した感情を押し殺しつつ、淡々とショートショートを積み上げていく職人的なライフワークの先に、誰にも真似できない時代を超えた一般性にたどり着いたといえまいか。すばらしいことだと思います。

追加:中学教科書に載っていたさるの汽車の話は「車掌の本分」(かんべむさし)であることが分かりました。グーグルってすごいですね。あらすじは、遊園地の汽車を運転するさると車掌のさるが大人気で客車を多くしたところ車掌の猿が元気なくなった。仕事増やしすぎたなぁ、と思っていたら実は違ったという話。オチは秘密です。
追加2:そういえばまた思い出しましたが似たような話?で、人間に目覚めた象が、どうやったら人間らしくなれるのかという話が星新一にありまして、中学のときそれで読書感想文を書いたら学内の最優秀賞だか取った記憶があります。数ページ読むだけで済んだので楽だったなぁと思っていました。で、朝礼で名前を呼ばれて段上に上がり、賞状を受け取りました・・・、ら、すごいちっちゃいカードみたいな賞状でした。日章旗翻る恐れ多い段上で校長先生から賞状を受け取るという厳かなときに、肩がすぼまっちゃって情けない気持ちになりました。友達も「あれっ、ちっちゃ!」と見てて思ったと言ってました。よみがえる昔の記憶。

火曜日, 1月 13, 2009

文化の違いその1:個人の責任

 さて、先日言いましたが、帰国を前にしてこれまでに感じた文化の違いのまとめをちょろちょろと書いていこうと思います。今回はその第一回目です。題しまして「個人の責任」です。
 あらかじめ断っておきますが、世の中は時と場合によって相対的で、同じことをやってもいいときと悪いときがあります。こっちも人間だからムカッと来るときもあるし、あぁなるほどなぁうまいなぁと思うこともあります。できるだけいいとかわるいとか言わないようにしようと思います。できるだけ、ですけど。

 で、まず今回は個人と組織の関係について、です。
 おおざっぱに言うと、客と会社、客と店、というより、僕とあなたという関係が強いということです。簡単な例ではレストランでウェイターが名前を言って自己紹介して来て、その店で何か頼むのはその人以外ほぼNG、最後にその人向けにチップを渡す、という関係ですね。ま、レストランだと分かりやすいですけど、逆にこれはレストランだけの習慣だと思っていました。

 ところが、それがそうでもなくて結構いろいろなところでそういう関係性を気づかされることが多々ありまして、一般化するのに時間がかかりました。

 たとえばイエローストーンの最初のホテルで、予約変更手続きのトラブルでこっちの予約がキャンセルされていたとき、カウンターで対応していたのは若いおネェちゃんでした。
「こっちは予約変更確認のメールをもらってるんだし、ちゃんとプリントアウトしてここにその確認内容があります。こっちのミスではないことは明らかです。」
というと、
「私のミスでもありません」
と抜かしおった。
「はぁ、でもあなたのホテルのミスでしょう。」
というのは、どうも日本人的な感覚なのではないかと。

 車の事故処理で保険屋と対応するのも全部名指し。修理工場の対応も全部名指し。保険のトラブルを訴える組織にファックス送るのも名指し。なにもかも名指しです。ソニーお客様係御中ということがないですね。なかなか名前が覚えにくいので大変です。服屋とか電気屋とかで物を買うときも、これくださいというと、これまで誰かがあなたの対応してましたか?と聞かれます。うーん、対応してくれたんだけど名前忘れた、ということが何度かありました。
 組織のために一歩引くということがないですね。自分はこんだけ貢献しているということをはっきりさせたいと思ってるんでしょう。当然と言えば当然ですね。ただこのことは日本に比較して組織を代表しているという意識を希薄にしていますね。合理的と言えば合理的ですけど、やっぱり組織として個人に不利益を与えた場合にいろいろ不都合が生じます。あんたの会社のやってることはおかしいだろうとクレームを言うにも誰か名指しで言わなきゃいけない。つまり個人が組織にクレーム付けにくいようになってるんですね。運が悪いといって泣き寝入りすることも多いでしょうね。

 客が日本に比べて辛抱強いのも驚きです。レジの行列も家族でしゃべりながらゆっくり待ってます。当然待つのは嫌なのですが、それを紛らわす努力をしてます。レジも別に慌てるでもなく、他の店員とおしゃべりしたりします。日本人的にはおいこらしゃべってる暇あったらさっさとやれよ、ということなんですが、そうなりません。で、レジではかならず店員と挨拶。
「はろー、はわゆー。」
ですね。客の方から率先していったりすることもあります。
店員も
「欲しいものは全部見つかった?」
とか聞いて来ます。
最初よく聞き取れなかったときは、何か大事なことを言っているのではないかと真剣に聞き直しました。ほとんど決まり文句だと分かって驚きました。
で、別れ際は
「ハヴアナイスデー」
「ユートゥー」
ですからね。
 日本のコンビニで挨拶とかありえないですよね。日本では客はレジうちを人とは見てないんじゃないか?と思わされます。と同様に店員の挨拶もなんか乾いた感じがするかもしれませんね。日本人はもうこういうのに慣れっこなので大丈夫ですが、外国の人はそういう機械的な人間関係に耐えられないんじゃないでしょうか?

ということで、なんとなくですが、こっちでは個人と個人の関係を重視する、と。組織と個人の関係はなかなかうまく機能しないというお話でした。

でわまた次回まで、さようならー。

火曜日, 1月 06, 2009

iPod touch

iPod touchをクリスマスの朝に娘と開きました。
サイズが娘に丁度よく、興味津々。しょっちゅう娘に取られて、今ではSafariを開いてbookmarkからyoutubeへとび、自分のアカウントのお気に入りからプリキュアの動画を見るまでを自分でこなします。娘にとってはサンタさんがパパにくれたやつという名前になっており、とりあえずパパのものだということはわきまえているようです。

嫁は買った本人がすぐ飽きると思っていたようで、今でも僕が頻繁に使っているところを見ては驚いています。
一番よく使うのは産経新聞アプリ。新聞紙面そのままが毎日ただで見れるのがもうなんというか懐かしいというか、あの新聞のレイアウトいいですねー。産経ってもっと偏ってると思っていましたがそうでもないですね。たまにツンとしたのがありますが。

あとは数独のゲームくらいかな?
基本WiFiなので、iPod touchを使う環境ではノートPCでも同じこと以上のことができるのでiPod touchである必要はほとんどありません。産経新聞の紙面はiPod touchオンリーですので、これはもう替えがききません。

音楽は手探りでの作業がしにくいので、むしろiPod shuffleのほうが便利。そっちを使ってます。

今日発表されたiWorkのKeynoteをリモートでコントロールする機能はかなり惹かれます。
多分やるな。アメリカ人はみんなやるな。

金曜日, 1月 02, 2009

明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

 こちらの年末年始は日本に比べると全然盛り上がらず、年の瀬の独特な雰囲気を全く感じません。年が明けてもいつもと変わらず、ですね。普通に1月2日から出勤です。今年はたまたま2日が金曜日なので、いきなり週末感がただよいます。やっぱりクリスマスが最大行事でそれが過ぎればもう終わったということでしょうか?年末年始の正式な休みは31日と元日だけ。クリスマスは24日と25日の二日間。この4日感が正式な休みだそうです。うーん、盛り上がらない。

 年末は友達をよんでなんちゃって手巻き寿司を食べて、年始は友達の家で日本食のパーティーに参加しました。お雑煮も食べました。いやいや満足満足。

 さて、1月に入ってしまいまして、米国生活も残りわずか3ヶ月となりました。仕事では一応なんとなく一段落の結果は得ましたが、さらに発展させるべく次の段階に入っていますけども、すくなくともこの次の段階のデータはすべて取り終えたいと思っています。結果の考察は日本に帰ってからになると思います。その一応何となく一段落の結果は、あまり大した内容ではないのですが、ちょっと味付けして意味をやや膨らまして形に残るものとしてどっかに論文投稿しようと思います。これも、ま帰国までにできればいいなぁ、というところ。

  あと、今後少しづつ気がついた日本と米国の違いについてまとめて行こうと思っています。地域活動、組織と個人の関わり、大学の仕組み、などなど。
 英語の上達についてはまったく満足しておらず、当然外国人であるということを自覚しながら生活しているわけですけども、知らず知らずのうちに少なからずこちらの生活に馴染んでしまっているはずであります。いい悪いに関わらず。多分帰国してからの逆カルチャーショックでどういう風に変わったのかが自覚できると思います。日本人に嫌われるような言動を自覚なくやってるかもしれませんね!(別に留学は関係ないという話もある。)